本文
水戸市には、すばらしい建造物(けんぞうぶつ)や風景(ふうけい)がたくさんあります。
有名なものだと千波湖(せんばこ)、偕楽園(かいらくえん)、水戸芸術館(げいじゅつかん)タワーなどがありますね。
このような建造物や風景をみなさんに見つけてもらい、「あなたが見つけた水戸の景観」としてまとめました。
さあ、水戸の新しい一面を見つけてみましょう!
「景観」とは、その地域(ちいき)が持つ自然、歴史文化、建造物などをもとにして、人々の関(かか)わり方や暮(く)らしぶりがあらわれている様子のことをいいます。
景観は、わたしたちのすぐそばにあります。よい景観を形づくることは、地域の魅力(みりょく)を高め、地域への愛着(あいちゃく)や誇(ほこ)りを育(そだ)てるもととなり、さらにはまちの活性化(かっせいか)や観光客を増やすことにもつながります。
よい景観は、ひとりひとりの感じ方によって変わります。このページで紹介(しょうかい)する景観を参考(さんこう)にして、あなたなりのよい景観を探してみましょう!
新しい水戸の魅力を見つけるために、令和2(2020)年の2月から8月にかけて「あなたが見つけた水戸の景観」の募集(ぼしゅう)を行いました。
市内外からの応募(おうぼ)をもとに、令和2(2020)年12月に、水戸市都市景観審議会(みとしとしけいかんしんぎかい)で「あなたが見つけた水戸の景観30選」として選定(せんてい)しました!
選定された景観の場所はこちら<外部リンク>(新しいウィンドウで開きます)。
【まちなみ】
【長屋門】
中世の時代に水戸を治(おさ)めた江戸氏(えどし)が、赤尾関城(あかおせきじょう)という平城(ひらじろ)をつくった町です。
板塀(いたべい)や長屋門(ながやもん)※など、一部古いまちなみが残っています。
※長屋門:日本の伝統的(でんとうてき)な門の形のうちのひとつです。江戸時代(えどじだい)に多く建てられました。
泉町会館は、昭和30(1955)年に建てられました。1階はワインバーと水戸のおみやげ品を製造(せいぞう)・加工(かこう)できる場所に、2階は市民も使うことができるオープンスペースになっています。
【三の丸庁舎】
【桜並木(※現在は植え替え済)】
茨城県三の丸庁舎は、建築家(けんちくか)の置塩章(おきしおあきら)の設計(せっけい)により、昭和5(1930)年に建てられました。
デザインに、昭和初期(しょうわしょき)のころのはやりの建築スタイルが見られます。
【茨城県庁舎】
【展望台からの眺め】
展望ロビーは地上108メートルの場所にあり、眺めのよいスポットとして人気があります。
フロア全体をかこうように窓(まど)があり、南は筑波山方面(つくばさんほうめん)、北は高さ100メートルの水戸芸術館(げいじゅつかん)タワーや日立(ひたち)の山、東は大洗(おおあらい)から遠く太平洋が見えます。
建築家の駒杵勤治(こまぎねきんじ)が設計により、明治37(1904)年に建てられました。国指定文化財(くにしていぶんかざい)になっています。
かつては玄関を中心として、左右に教室が伸(の)びていました。
茨城県立歴史館の敷地面積(しきちめんせき)は、全部で7.2ヘクタールあります。
毎年11月には「いちょうまつり」が開催(かいさい)され、多くの人々が訪れます。
公園の大きさは6ヘクタール、池の一周は約2.6キロメートルです。茨城百景(ひゃっけい)にも選ばれています。
ウォーキングに最適(さいてき)で、遊具(ゆうぐ)もあり、市民のいこいの場となっています。冬にはハクチョウが飛来(ひらい)します。
【柴前(しばさき)門】
【もみじ谷】
【好文亭】
天保13(1842)年に、水戸藩(みとはん)第9代藩主(はんしゅ)徳川斉昭(とくがわなりあき)公によって造園(ぞうえん)されました。
斉昭公は、千波湖(せんばこ)にのぞむ七面山(しちめんざん)を切り開き、領内(りょうない)の民(たみ)と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願い、「偕楽園」をつくりました。
園内には約100品種(ひんしゅ)3,000本の梅が植えられ、春には観光客でにぎわいます。
「旧川崎第百(だいひゃく)銀行水戸支店」として、明治42(1909)年に建てられました。設計は、建築家の新家孝正(にいのみたかまさ)です。
現在の姿は、昭和26(1951)年に復刻(ふっこく)されたものです。
楮川ダムは、昭和61(1986)年に完成した上水道(じょうすいどう)専用(せんよう)のダムです。水戸市で使われる約20日分の水道水をまかなうことができます。
第9代藩主・徳川斉昭公が推進(すいしん)した藩政改革(はんせいかいかく)の1つとして開設(かいせつ)されました。
当時の敷地面積(しきちめんせき)は約10.5ヘクタールで、藩校(はんこう)としては全国一の大きさです。授業は武術(ぶじゅつ)から学問(がくもん)まで教えられたそうです。
那珂市(なかし)側から国道349号をとおって水戸へ行くときに見える、この風景(ふうけい)が水戸らしさを感じさせます。
平成7(1995)年から利用(りよう)が始まりました。
復元(ふくげん)された笠原水源(かさはらすいげん)、徳川光圀(とくがわみつくに)が建てた茶亭(ちゃてい)「漱石所(そうせきじょ)」※などの史跡(しせき)や、レンガ造(づく)りのオブジェが置かれたアプローチゾーン、ピクニック広場が整備(せいび)されています。
※「漱石所」:この場所で光圀は、川の上流(じょうりゅう)から杯(さかずき)を流し、その間に和歌(わか)を詠(よ)むという曲水(きょくすい)の宴(うたげ)を行ったといいます。
笠間市(かさまし)にある朝房山(あさぼうやま・201.1メートル)から、沢渡川(さわたりがわ)、逆川(さかさがわ)を合わせて中心市街地(ちゅうしんしがいち)を流(なが)れ、那珂川(なかがわ)に合流(ごうりゅう)します。
周囲(しゅうい)3キロメートルのひょうたん型の湖(みずうみ)。江戸時代(えどじだい)には今の約3.8倍の面積(めんせき)があり、水戸城(みとじょう)を南から守る天然(てんねん)の堀(ほり)として、そして農業用水源(のうぎょうようすいげん)として重要な役割をもっていました。
平成4(1992)年に完成しました。高さは15メートルあります。
体内の階段(かいだん)から登り、手のひらからの眺(なが)めが楽しめます。公園では国指定史跡(くにしていしせき)の大串貝塚(おおくしかいづか)※があり、縄文(じょうもん)や弥生(やよい)の暮らしを学べます。
※大串貝塚:縄文時代前期(じょうもんじだいぜんき)のシジミを中心とした貝塚で、土器(どき)、石器(せっき)、骨角器(こっかくき)のほか、魚貝類(ぎょかいるい)、獣骨(じゅうこつ)などが出土(しゅつど)しました。
水戸駅北口から国道50号沿(ぞ)いに広がるまちなみです。
常澄は鹿島臨海鉄道大洗鹿島線(かしまりんかいてつどうおおあらいかしません)の高架橋(こうかきょう)と田園風景が特徴的(とくちょうてき)な場所です。この地域(ちいき)は古くから米が生産(せいさん)され、今も農地(のうち)が広がっています。
栃木県(とちぎけん)の那須町(なすまち)の那須岳山麓(なすだけさんろく)を源(みなもと)とし、茨城県を南東(なんとう)に流れてひたちなか市と大洗町(おおあらいまち)の境界(きょうかい)から太平洋にそそぎます。
平成3(1991)年に開園(かいえん)しました。面積(めんせき)は8ヘクタールあります。
イギリスの会社による設計(せっけい)で、本格的な英国風(えいこくふう)の庭園(ていえん)です。フォリーやパビリオン、秘密の花苑(はなぞの)があります。
初代藩主(しょだいはんしゅ)徳川頼房(とくがわよりふさ)公の時代に、灌漑用水(かんがいようすい)として、また、桜川(さくらがわ)・千波湖(せんばこ)の洪水防止(こうずいぼうし)のため、頼房が伊奈備前守忠次(いなびぜんのかみただつぐ)に命(めい)じて築(きず)かれた用水(ようすい)の堀(ほり)です。
今も農業用水(のうぎょうようすい)として使われています。
「三栗の中に向へる曝井の絶えず通はむ彼所に妻もが(みつくりのなかにむかえるさらしいのたえずかよわんそこにつまもが)」と「万葉集(まんようしゅう)」の巻(かん)九に高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)の作と伝(つた)えられている歌が(うた)残る、万葉ゆかりの湧き水(わきみず)の場所です。
水戸市市制(しせい)100周年を記念(きねん)して建てられました。高さは100メートルです。三重(さんじゅう)らせんが空に向かって上昇(じょうしょう)していくデザインは、無限(むげん)に発展(はってん)する水戸を象徴(しょうちょう)しています。
公園内の恐竜広場には、古生代末期(こせいだいまっき)の原始(げんし)恐竜から白亜紀(はくあき)の巨大恐竜、新生代(しんせいだい)のマンモスまで、実物大模型(じつぶつだいもけい)が14体設置(せっち)されています。
(※市民の方から提供いただいた画像です。)
昭和7(1932)年に建てられました。設計(せっけい)は後藤鶴松(ごとうつるまつ・水道技師(すいどうぎし))です。高さは21.6mです。戦火(せんか)をも免(まぬが)れて配水塔として使われていましたが、平成11(1999)年に役割(やくわり)を終えました。
平成30(2018)年に建てられました。久米・柴建築(くめ・しばけんちく)の共同設計(きょうどうせっけい)です。
災害(さいがい)の経験(けいけん)を活(い)かした総合防災拠点(そうごうぼうさいきょてん)の顔を持つ庁舎です。
平成4(1992)年に開館(かいかん)しました。建築家(けんちくか)の新居千秋(あらいちあき)の設計(せっけい)です。中世(ちゅうせい)ヨーロッパ建築を思わせる建物(たてもの)が特徴的(とくちょうてき)で、たくさんの建築の関係者(かんけいしゃ)が見学(けんがく)に訪(おとず)れました。映画撮影(えいがさつえい)にも使われています。
【大手門】
【白壁塀】
【二の丸角櫓】
大手門は、令和2(2020)年2月4日に完成しました。平成21(2009)年に、坂東市(ばんどうし)で発見された水戸城の城門(じょうもん)と伝わる扉(とびら)が水戸市に贈られたことをきっかけに復元(ふくげん)されました。
白壁塀は二の丸を中心に整備(せいび)されました。また、二の丸角櫓は令和2年度に完成しました。
昭和(しょうわ)の頃には「新水戸会館(しんみとかいかん)」というアミューズメントパークや映画館(えいがかん)などがあり、かつては水戸の娯楽(ごらく)の中心であった商店街(しょうてんがい)です。
今は昭和レトロのまちとして注目されています。
那珂川(なかがわ)にかかる国道(こくどう)349号の斜張橋(しゃちょうきょう)です。初めに「万代橋」として橋が架(か)けられたのは1919年のことでした。今の橋は渋滞(じゅうたい)をしにくくするため、平成6(1994)年に新しく架けられたものです。
水戸では旧水戸藩時代(きゅうみとはんじだい)から様々な景観(けいかん)を選定(せんてい)してきた歴史があります。
(※時代の古いものから順になっています。)
千波湖八景は、水戸藩(みとはん)2代藩主(はんしゅ)徳川光圀(とくがわみつくに)公が、千波湖を回って8つの良い風景(ふうけい)を定めたものと言われています。
しかし、光圀公の時代をはじめ、近代の千波湖の干拓(かんたく)事業により、今では当時の景観が見られなくなっています。
千波湖(松平俊雄(まつだいらとしお)『常磐公園覧勝図誌(ときわこうえんらんしょうずし)』(1885年)より)
正徳・享保(しょうとく・きょうほう)の頃、神崎寺の住職と安積澹泊(あさかたんぱく)が相談して、境内(けいだい)から見える景色を中心に次のような神崎八景を選んだといいます。(『水戸の町名』1982年、p157)
水戸藩9代藩主(はんしゅ)徳川斉昭(とくがわなりあき)公は、中国の蕭蕭(しょうしょう)八景にならい、水戸藩内に8つの景勝地(けいしょうち)を選定(せんてい)しました。
選定した正確な時期は不明ですが、天保(てんぽう)4(1833)年に水戸領内(みとりょうない)を回ったときとされています。斉昭公はそれぞれの場所に自筆(じひつ)の碑(ひ)を建てました。
現在、まわりの景観は変化していますが、当時をしのばせる水戸八景碑は残っています。
僊湖暮雪(せんこのぼせつ) | 水戸市常磐町(ときわちょう) | |
青柳夜雨(あおやぎのやう) | 水戸市青柳町(あおやぎちょう) | |
太田落雁(おおたのらくがん) | 常陸太田市栄町(さかえちょう) | |
山寺晩鐘(やまでらのばんしょう) | 常陸太田市稲木町(いなぎちょう) | |
村松晴嵐(むらまつのせいらん) | 東海村村松 | |
水門帰帆(みなとのきはん) | ひたちなか市和田町 | |
岩船夕照(いわふねのせきしょう) | 大洗町祝町(いわいまち) | |
広浦秋月(ひらうらのしゅうげつ) | 茨城町下石崎(しもいしざき) |
(画像提供:県立歴史館永井様)
那珂川と涸沼川(ひぬまがわ)に囲まれている地形をもつ旧常澄村(きゅうつねずみむら)は、幕末から明治にかけて俳句や短歌が詠(よ)まれる場所でした。
そのような背景から、明治中期に地元の人々によって塩崎八景は選定されました。
8つの風景の正確な場所は今日まで伝わっていませんが、八景の名称は「下大野村誌(しもおおのそんし)」に記されています。(『常澄村史』1989年、p976)
※一部読み方不明
常澄村観光八景は昭和37(1962)年に旧常澄村が「生産(せいさん)の村、我(わ)が常澄にも観賞(かんしょう)に価(あたい)する景勝(けいしょう)の地が沢山(たくさん)」あるという趣旨(しゅし)のもと、水戸八景にちなんで選定(せんてい)しました。(『常澄村史』1989年、p977‐978)
※一部読み方不明
昭和63(1988)年、竹下内閣(ないかく)が「ふるさと創生(そうせい)」政策(せいさく)を打ち出し、「ふるさと創生事業」として全国市町村に一律(いちりつ)1億円を支給(しきゅう)しました。これを受けて、旧内原町(きゅううちはらちょう)では平成元(1989)年に役場職員や町民などからアイディアを集め、また「ふるさと創生推進委員会(そうせいすいしんいいんかい)」を立ち上げ、4つの事業を行いました。
そのなかの1つである「ふるさと再発見事業」では、地域の景観を再発見するという目的で「平成版内原の景色10選」を選ぶことになりました。「平成版内原の景色10選」は、町民からの募集を通して平成3(1991)年3月に10個の景色が選定されました。
選定された景色の場所には記念碑(きねんひ)が置かれ、テレフォンカードや絵はがき、散歩マップである「彩の散歩道」が作成されました。(『内原町史』1996年、p1202‐1208)
斉昭公が「水戸八景」を選定(せんてい)してから160年以上の時が過ぎた平成7(1995)年に、これからも残していきたい水戸、伝えたい水戸を「新水戸八景」として選定することになりました。
「新水戸八景」は水戸市民の皆様の投票に基づき平成8(1996)年に選定されました。(『広報みと』、889号、917号より)※写真は一例です。
弘道館周辺と水戸城の濠(ほり) | 三の丸1・2・3丁目 | |
保和苑(ほわえん)と周辺史跡(しせき) | 松本町、愛宕町(あたごちょう)、八幡町(はちまんちょう) | |
偕楽園公園と千波湖周辺 | 常磐町(ときわちょう)、千波町、見川1丁目 | |
水戸芸術館 | 五軒町(ごけんちょう)2丁目 | |
備前堀(びぜんぼり) | 柳町(やなぎまち)~平戸町(ひらどちょう) | |
水戸市森林公園と楮川(こうぞがわ)ダム | 田野町(たのちょう)、成沢町(なるさわちょう) | |
ダイダラボウと大串貝塚ふれあい公園 | 塩崎町(しおがさきちょう) | |
大塚池公園 | 大塚町 |