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水戸市の商工業(しょうこうぎょう)

ページID:[[open_page_id]] 更新日:2023年2月20日更新 印刷ページ表示

水戸市の商工業の歴史(れきし)

工場

茨城県(いばらきけん)の多くの市町村では、商業よりも工業が盛(さか)んです。
これは山が少なく、工場を建(た)てやすいということや、日立市(ひたちし)の製造業(せいぞうぎょう)や、鹿嶋市(かしまし)や神栖市(かみすし)に広がる鹿島臨海工業地帯(かしまりんかいこうぎょうちたい)など、工業を中心に発展(はってん)したまちが多いことと関係(かんけい)しています。

反対に、水戸市は、昔から工業よりも商業が盛んなまちとして知られてきました。
第2次世界大戦の後に、国道50号を中心としたまちづくりが進み、昭和40~50年代にかけて、水戸駅北口~大工町1丁目周辺(しゅうへん)にデパートや大小の商店が建ちならぶ、現在のまちなみが完成(かんせい)しました。
また、三の丸や南町、大町などに、市役所(しやくしょ)や県庁(けんちょう)、郵便局(ゆうびんきょく)、警察署(けいさつしょ)、銀行(ぎんこう)などが集中し、商店街(しょうてんがい)と一緒(いっしょ)に発展していきました。

水戸市の商業

商業

水戸市の商業が茨城県全体に占(し)める割合(わりあい)は、平成28(2016)年度で、事業所数(じぎょうしょすう)では、11.6パーセント、従業者数(じゅうぎょうしゃすう)は13.6パーセントを占めています。
また、年間の商品販売額(しょうひんはんばいがく)では、なんと22.4パーセントを水戸市が占めています。つまり、茨城県で売れるモノのうち、だいたい5つに1つが、水戸市内のお店で買われているのです。

これまで、水戸市は、茨城県の商業の中心地として発展してきましたが、近年では、水戸市の郊外(こうがい)や周辺の市町村に大きなショッピングセンターができたことや、インターネットを使って買い物をする人が増えたことなどから、市の中心市街地(ちゅうしんしがいち)で買い物をする人が少なくなってきています。
その結果(けっか)、水戸市の中心市街地では、大きなデパートが閉店(へいてん)してしまったり、営業(えいぎょう)していないお店が増(ふ)えてしまったり、歩く人の量が減(へ)ってしまったりして、大きな課題(かだい)となっています。
​そのため、水戸市民会館(みとしみんかいかん)や水戸芸術館(みとげいじゅつかん)、京成百貨店(けいせいひゃっかてん)が建ちならぶ地区「MitriO(ミトリオ)」、弘道館(こうどうかん)や大手門(おおてもん)など、水戸の歴史(れきし)を感じられる三の丸地区で多くの人を呼び込むイベントなどを開いたり、中心市街地で、飲食店(いんしょくてん)や会社がたくさん営業(えいぎょう)できるように手助けをしています。

※事業所数:お店の数。
※従業者数:お店で働(はたら)く人の数。
※商品販売額:モノが売れた金額(きんがく)。

水戸市の工業

 水戸市の工業は、産業(さんぎょう)に占める工業の割合が小さく、工場の規模(きぼ)も小さなものが多いのですが、東部工業団地(とうぶこうぎょうだんち)や水戸西流通(りゅうつう)センターなどを中心に工場が集まっているほか、住宅(じゅうたく)やお店の近くにも、小さい食品工場や印刷所(いんさつじょ)など、生活に関連(かんれん)する工場があります。
特に、県庁所在都市(けんちょうしょざいとし)という立地をいかした都市型(としがた)の工業が成長してきたことが特徴(とくちょう)です。

近年では、海外に工場が出て行ってしまったり、国内にいくつもある工場をまとめる工場の再編(さいへん)などにより、工場が閉鎖(へいさ)してしまったりするなど、工場の数や工場で働く人が減りつつあり、大きな課題となっているため、水戸市では、企業誘致(きぎょうゆうち)に力を入れています。市内の会社が工場を大きくすることや、市外の会社が水戸市に新しい工場を建てることの手助けをしています。