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水戸市の文化財(ぶんかざい)

ページID:[[open_page_id]] 更新日:2023年2月20日更新 印刷ページ表示

水戸市の文化財

文化財とは、古い建物(たてもの)や美術品(びじゅつひん)、昔からあるお祭りなどのことです。
ここでは、水戸市にある文化財の一部を紹介(しょうかい)します。

八幡宮本殿(はちまんぐうほんでん)

八幡宮本殿の画像

【国指定(くにしてい)建造物(けんぞうぶつ)】

慶長(けいちょう)3(1598)年に建てられた、神様が宿(やど)る御神体(ごしんたい)が納(おさ)められている建物です。
屋根は入母屋造り(いりもやづくり)※で、杮(こけら)という、うすい木の板を瓦(かわら)のように屋根に重ねて葺(ふ)いています。向拝(こうはい)という建物の出入口には赤い柱が4本建っていて、建物全体に日本と中国の建物の両方の特徴(とくちょう)がみられます。

※入母屋造り:屋根の四つの端(はし)の方向に向拝を持たせるつくり方。

弘道館(こうどうかん)

弘道館

【国指定特別史跡(とくべつしせき)】

弘道館(こうどうかん)は、水戸藩(みとはん)の第9代藩主(はんしゅ)徳川斉昭(とくがわなりあき)公が建てた藩校(はんこう)※です。
水戸城内の三の丸に正庁(せいちょう)、文館、武館(ぶかん)、医学館(いがくかん)、八卦堂(はっけどう)、鹿島神社(かしまじんじゃ)、孔子廟(こうしびょう)、調練場(ちょうれんば)などがありました。
敷地面積(しきちめんせき)は、105,000平方メートルで、全国最大(ぜんこくさいだい)の規模(きぼ)でした。これは、東京ドーム2個分と同じくらいの大きさです。
弘道館では、天保(てんぽう)12(1841)年から明治5(1872)年まで教育(きょういく)が行われていました。

※藩校:江戸時代(えどじだい)に、それぞれの藩が、その藩につかえる藩士とその子弟(してい)を教育するためにつくられた学校。

中崎家住宅(なかざきけじゅうたく)

中崎家住宅の画像

【国指定建造物】

中崎家住宅は、元禄(げんろく)元(1688)年に建てられたと伝えられています。市内には他にもいくつか古民家(こみんか)が残(のこ)っていますが、元禄時代のもので、そのときの姿や形を保っているものはほかにありません。

常磐公園(ときわこうえん)※偕楽園(かいらくえん)

【国指定名勝(めいしょう)・史跡(しせき)】偕楽園

常磐公園は偕楽園のことで、水戸藩第9代藩主徳川斉昭公が、天保13(1842)年に開いた庭園(ていえん)です。
勉強の休息(きゅうそく)を目的としてつくられ、園内には学問(がくもん)の木である梅の木がうえられています。好文亭(こうぶんてい)は三階建(さんかいだて)になっていて、一番上の階である楽寿楼(らくじゅろう)からは、園内の梅林や園外の千波湖(せんばこ)の美しい風景(ふうけい)が広がります。

吉田古墳(よしだこふん)

吉田古墳の画像【国指定史跡】

吉田古墳は、吉田の台地上にある古墳です。墳丘(ふんきゅう)の中は、横穴式石室(よこあなしきせきしつ)になっています。
大正3(1914)年4月に発掘(はっくつ)され、銀の耳飾(みみかざ)り(イヤリング)などが発見され、石室奥の壁(かべ)には靭(ゆぎ)・刀子(とうす)・鉾(ほこ)※などの武具(ぶぐ)の壁画(へきが)があるめずらしい古墳です。
また、近年の調査(ちょうさ)により、墳丘は八角形墳(はっかっけいふん)であったことが分かりました。

※靭(ゆぎ)は弓矢の矢を入れておく筒(つつ)、刀子はナイフ、鉾は両刃(りょうば)がついた長い武器(ぶき)のこと。

大串貝塚(おおくしかいづか)

大串のささらばやし

【国指定史跡】

大串貝塚は、奈良時代(ならじだい)前期(ぜんき)に編集(へんしゅう)された『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』に書かれており、これにまつわる巨人伝説(きょじんでんせつ)とともに有名です。貝層(かいそう)がつくられた時代は、縄文時代(じょうもんじだい)前期です。

※「常陸国風土記」:現在の茨城県の大部分が常陸国と呼ばれていた、奈良時代のはじめ頃の風土(ふうど)や産物(さんぶつ)、伝統(でんとう)などを地方ごとに記した書物(しょもつ)。

台渡里官台衙遺跡群(台渡里官衙遺跡・台渡里廃寺跡)(だいわたりかんがいせきぐん(だいわたりかんがいせき・だいわたりはいじあと)

台渡里官衙遺跡群の画像

【国指定・県指定史跡】

那珂川(なかがわ)を見渡せる高さ30メートルくらいのみはらしのよいところにある、奈良・平安時代(へいあんじだい)の役所跡(やくしょあと)です。
北から長者山地区(ちょうじゃやまちく)、観音堂山地区(かんのんどうやまちく)、南方地区(なんぽうちく)の3つに分けられます。
観音堂山地区と南方地区には、お寺がありました。そのお寺は、7世紀後半(こうはん)から末ごろに建てられたもので、9世紀後半に火事でなくなってしまいました。
​長者山地区は、まわりの地域(ちいき)からとれたお米をたくわえる倉(正倉院(しょうそういん))がありました。広さは東西およそ300メートル、南北およそ200メートルになり、そのなかに屋根の前面に瓦が葺かれた倉がならんでいたことが分かっています。

大串(おおくし)のささらばやし

大串のささらばやしの画像

【国選択・県指定無形民俗文化財(むけいみんぞくぶんかざい)】

江戸時代中ごろ、大串稲荷神社(おおくしいなりじんじゃ)の祭礼(さいれい)に、氏子(うじこ)※たちが無病(むびょう)と豊作(ほうさく)などを願って、物品をおさめたのがはじまりとされています。
竹竿(たけざお)の先につけた獅子頭(ししがしら)を舞(ま)わせる棒(ぼう)ささらです。

※氏子(うじこ):地元(じもと)で神社を大切に守っている人たちのこと。

大野のみろくばやし

大野のみろくばやしの画像

【国選択・県指定無形民俗文化財】

みろくの起源(きげん)は、水戸藩の第2代藩主徳川光圀(とくがわみつくに)公が領内(りょうない)をめぐったときに、極楽橋(ごくらくばし)の下で、三体の人形を発見し、下大野の人の手にわたったことだと伝えられています。
竹竿の先につけたみろく人形を舞わせ、豊作を祈(いの)ります。

旧水戸城薬医門(きゅうみとじょうやくいもん)

旧水戸城薬医門の画像

【県指定建造物】

この門は、旧水戸城の本丸と二の丸の境(さかい)にあった門です。
今は、県立水戸第一高等学校(けんりつみとだいいちこうとうがっこう)の敷地内(しきちない)にあります。
建物の姿や特徴から、安土桃山時代(あづちももやまじだい)の末ごろに建てられたことがわかります。

笠原水道(かさはらすいどう)

笠原水道の画像

【県指定史跡】

水戸の城下町(じょうかまち)は、水の利用が不便(ふべん)で、住民は特に飲み水に困っていました。
そのため、水戸藩の第2代藩主徳川光圀公が寛文(かんぶん)2(1662)年に、水道の設置(せっち)を命(めい)じ、笠原が水源地(すいげんち)※となりました。

※水源地:水が流れ出るもととなるところ。

安神車(あんじんしゃ)

安神車の画像

【市指定(ししてい)工芸品(こうげいひん)】

水戸藩の第9代藩主徳川斉昭公が命じてつくらせた戦車(せんしゃ)です。中に人が入り、小銃(しょうじゅう)がうてるようになっています。これを車にのせて、牛にひかせていました。

吉田神社(よしだじんじゃ)の秋季祭礼(しゅうきさいれい)

大野のみろくばやしの画像1

【市指定無形民俗文化財】

吉田神社の秋季祭礼は、毎年10月15日に近い金・土・日曜日の3日間にわたって行われる祭礼です。
1日目が例大祭(れいたいさい)の神事(しんじ)と夜祭(よまつり)、2日目と3日目が神体(しんたい)を神輿(みこし)に乗せ、氏子たちが町内をまわり神社に戻る神幸祭(じんこうさい)・還幸祭(かんこうさい)です。
神幸行列(じんこうぎょうれつ)には7基の山車(だし)や「台町のささら」が加わり、水戸下市(しもいち)の人々が待ち望むにぎわいのある秋の祭礼です。

義公生誕(ぎこうせいたん)の地

義公生誕の地の画像

【市指定史跡】

水戸藩の第2代藩主徳川光圀公は、寛永(かんえい)5(1628)年に、この地にあった重臣(じゅうしん)三木仁兵衛之次(みきにへえゆきつぐ)の屋敷(やしき)で生まれ、5歳(さい)まで過ごしました。

日新塾跡(にっしんじゅくあと)

大野のみろくばやしの画像2

【市指定史跡】

日新塾は江戸時代後期、又熊村庄屋(またくまむらしょうや)の加倉井砂山(かくらいさざん)が中心となって教えていた私塾(しじゅく)※です。読書、算数、歴史、理科、乗馬、砲術(ほうじゅつ)、練兵(れんぺい)、剣術(けんじゅつ)、詩文(しぶん)など文武両道(ぶんぶりょうどう)の教育が行われ、全国から入門者や遊学(ゆうがく)の人々が集りました。

※私塾:個人(こじん)が開いた塾(じゅく)のこと。

六地蔵寺(ろくじぞうじ)のシダレザクラ

六地蔵寺のシダレザクラの画像

【市指定天然記念物(てんねんきねんぶつ)】

六地蔵寺の境内(けいだい)の中央にあり、開花の時期になると多くの人がおとずれます。
樹齢(じゅれい)は約180年です。

世界遺産(せかいいさん)を目指す学問の府(ふ)・水戸

弘道館・偕楽園

江戸時代は教育がとても盛んでした。
当時、日本を訪れた外国人は、日本人の教育水準(きょういくすいじゅん)の高さにおどろいています。
その中でも、藩校・弘道館、学問の休息の場・偕楽園、彰考館(しょうこうかん)、日新塾(にっしんじゅく)などの教育施設は、江戸時代の教育をリードした水戸藩の学問・教育のすばらしさを伝える大切な文化財です。

今、水戸市では、水戸の先人たちの生き方に学ぶ教育「水戸教学(みときょうがく)」を行うとともに、弘道館と偕楽園、足利学校(あしかががっこう)(栃木県足利市(とちぎけんあしかがし))、閑谷学校(しずたにがっこう)(岡山県備前市(おかやまけんびぜんし)) 、咸宜園(かんぎえん)(大分県日田市(おおいたけんひたし))など、世界に誇(ほこ)る江戸時代の代表的な学校をまとめて、世界遺産として登録(とうろく)されるよう、活動を進めています。

弘道館の画像
弘道館(1841年開設(かいせつ))

偕楽園の画像
偕楽園(1842年開設)

※平成27(2015)年4月に「近世日本の教育遺産群(きんせいにほんのきょういくいさんぐん)―学ぶ心・礼節(れいせつ)の本源(ほんげん)―」が日本遺産(にほんいさん)に認定され、弘道館、偕楽園、日新塾跡などが、それに関わる文化財となっています。

水戸郷土(きょうど)かるた

水戸郷土かるた

水戸郷土かるたの画像

かるたで遊びながら、市内の歴史や自然、文化遺産を学べる水戸郷土かるたを販売(はんばい)しています。
市では、かるた大会も実施(じっし)しています。
毎年1月に、学区子ども会ごとに予選(よせん)大会を行い、勝ち上がった2チームが学区代表として2月に行われる水戸郷土かるた中央大会に出場します。