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こどもたちが平和への関心を高め、平和な社会・まちづくりについて共に考え、行動する力を育むことを目的として、「わたしたちの平和」作文コンクールを開催しました。
令和8年7月18日(土曜日)水戸市役所にて表彰式を行いました。
入賞された皆さん、おめでとうございます。
| 学校名 | 学年 | 氏名(敬称略) |
|---|---|---|
| 水戸市立千波小学校 | 第6学年 | 平山 毅 |
| 水戸市立石川中学校 | 第3学年 | 本間 玄真 |
| 学校名 | 学年 | 氏名(敬称略) |
|---|---|---|
| 水戸市立河和田小学校 | 第5学年 | 香取 玲菜 |
| 水戸市立内原小学校 | 第5学年 | 渡邉 心優 |
| 水戸市立妻里小学校 | 第6学年 | 庄司 聖愛 |
| 水戸市立三の丸小学校 | 第6学年 | 中村 秀伸 |
| 水戸市立千波中学校 | 第1学年 | 杉浦 奏至 |
| 茨城大学教育学部附属中学校 | 第1学年 | 大津 瑚春 |
| 水戸市立千波中学校 | 第2学年 | 平山 笑慈 |
| 水戸市立内原中学校 | 第2学年 | 市毛 心美 |
| 水戸市立第二中学校 | 第3学年 | 猿田 椛乃 |
| 水戸第一高等学校附属中学校 | 第3学年 | 折坂 蒼依 |
| 学校名 | 学年 | 氏名(敬称略) |
|---|---|---|
| 水戸市立寿小学校 | 第5学年 | 鈴木 博大 |
| 水戸市立渡里小学校 | 第5学年 | 喜多 柚月 |
| 水戸市立稲荷第一小学校 | 第5学年 | 荻沼 誓志 |
| 水戸市立笠原小学校 | 第6学年 | 海老沢 南帆 |
| 水戸市立稲荷第一小学校 | 第6学年 | 人見 和花菜 |
| 水戸市立赤塚中学校 | 第1学年 | 白田 怜香 |
| 茨城中学校 | 第1学年 | 渡野邉 遙海 |
| 茨城大学教育学部附属中学校 | 第1学年 | 中村 綜太 |
| 水戸市立内原中学校 | 第1学年 | 金谷 はのわ |
| 水戸市立赤塚中学校 | 第2学年 | 湯本 子依 |
| 水戸英宏中学校 | 第2学年 | 上野 敬祐 |
| 水戸第一高等学校附属中学校 | 第2学年 | 小幡 香菜子 |
| 水戸市立常澄中学校 | 第2学年 | 角田 琉莉 |
| 水戸市立国田義務教育学校 | 第9学年 | 高安 啓史郎 |
| 水戸市立第二中学校 | 第3学年 | 木村 真緒 |
「やったー」ゴールデンウィークの大会。ぼくたちのチームは最後の一球まであきらめずに優勝をつかみ取った。走って、滑って、時には見事に転んでどろだらけになったけれど、大好きな野球を仲間と思いっきり楽しめること。それがぼくにとっての当たり前の幸せだった。
そんな当たり前の中で、学校の宿題である「平和」の作文について、チームのみんなで話した。最初は気軽な気持ちだったが、だんだんぼくたちの間には不思議なきん張感が出てきた。
「地球が全部日本になってしまえば、戦争なんてなくなるのに」と一人の仲間が言った。それは、同じチームの仲間になれば争いなんて起きないという気持ちなんだと思った。けれど、別の仲間は「日本が平和とは限らないよ」と返した。さらに「いっそ地球なんてなければいいのに」という言葉まで飛び出した。
そこで、もう一人が「平和を誰の基準で考えるかが大事だよね」と言った。みんな「平和」の作文の宿題が思うより答えが難しく、ゴールデンウィークも後半というのもあって、重い空気が流れた。
その時、ぼくにはある歌がよぎっていた。お父さんが聴いていた、「たま」の「さよなら人類」の歌だ。「武器を担いだ兵隊さん」と「今日人類が初めて木星についたよ」その歌詞がどこか遠くの出来事のように淡々と戦争と未来が歌われているように感じていた。
今、ぼくたちがこうして野球をして、時に転び、仲間と意見をぶつけ合えるのは実はとてもこわれやすい土台の上にあるのではないか。その土台こそが「平和」ではと考えた。
ぼくは今、はっきりと「平和」の正解を出せないけれど、野球界のスーパースター、大谷翔平選手の姿を思い浮かべた時、ぼくは一つの希望を感じた。
大谷選手がホームランを打つ。その瞬間、人種、国籍や言葉の違いなんて関係なく、世界中の人が立ち上がって拍手を送り、笑顔になる。そこには、憎しみや争いなど存在しない。「ただ野球ってすごい」という素直な気持ちで世界をいっぱいにしている。
大谷選手のようなスーパースターの活躍は、世界中の人々の心を一つにし、平和な気持ちにさせてくれる。ぼくにできることは、まだ小さいかもしれない。でも、大好きな野球を通じて、相手を尊敬し、仲間と優しさをもって向き合うことはできる。
「走る、滑る、見事に転ぶ」。そんな全力のプレーで誰かを笑顔にできるスーパーヒーローにぼくはなりたい。世界中のみんなが、大谷選手のプレーを見た時のようにワクワクして、手を取り合える未来、そんな未来をぼくはこれからもグランドから作り続けていこうと思う。
私の家には、戦争を体験した曾祖父がいた。しかし、私は直接話を聞く機会がないまま曾祖父を亡くし、その体験を知ることはできなかった。そんな中、母から幼い頃の話を聞いたことが、私が戦争について考えるきっかけとなった。
母が小さかった頃、曾祖父に「戦争に行ったことがあるの。」と尋ねたことがあったという話を聞いた。母の問いに曾祖父は少し間をおいてから、「行ったよ。でも、死にたくなかった。帰りたかった。怖かった。」と静かに話をしたそうだ。そして最後に「生きて帰れてよかった。」と言ったと母は教えてくれた。
私はその言葉を聞いた時、胸がぎゅっと締め付けられる思いがした。学校の授業で戦争について学ぶ中で「戦う強さ」「国を守る」という言葉を目にすることがあるが、曾祖父の言葉はそれとは違う人間としての本音だったと感じた。
しかし、その後に聞いた話はさらに私に強い衝撃を与えた。曾祖父の子供である祖母は「生きて帰って来たのは、戦えなかったいくじなしだったからだ。」と言っていたそうだ。
私はこの言葉に強い違和感を覚えた。どうして、生きて帰ることが責められるのだろうか。曾祖父が生きて帰ってきたからこそ、祖母が生まれ、母が生まれ、今の私がいるはずなのに、それでもそのように考えてしまう空気があったのだと思った。
私は、その価値観のゆがみこそが戦争の恐ろしさだと感じた。戦争は命を奪うだけでなく、人の考えや感じ方までも変えてしまう。本来なら「怖い」「帰りたい」と思うことは自然なことだ。しかし戦争の中では、その当たり前の気持ちさえ言えなくなってしまう。
国のためという言葉のもとで、人としての本音が押し殺されてしまうのだ。さらに、戦争の影響は終わった後も残り続ける。戦争を直接知らない世代である祖母がそのように考えていたことからも、その影響の大きさがわかる。戦争は悲しみや後悔、そして人の心のゆがみを残し続ける。曾祖父の言葉から伝わってきたのはただ「生きて帰りたい」という願いだった。その願いを大切にできる社会こそが本当の平和ではないだろうか。
私はこの話を通して、戦争は遠い出来事ではなく、自分の家族につながる現実として考えるようになった。そして、今の問いに対する自分なりの答えを持っている。生きて帰ることは決して弱さではない。それは人として当たり前であり、守られるべき気持ちであると思う。私はこれからも戦争について学び続けていきたい。そして、人の命や気持ちを軽く扱う考えに流されず、「生きていてよかった」と思える社会を大切にできる大人になりたい。