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子どもたちが平和への関心を高め,平和な社会・まちづくりについて共に考え,行動する力を育むことを目的として,「わたしたちの平和」作文コンクールを開催しました。
令和6年7月13日(土曜日)水戸市役所にて表彰式を行いました。
入賞された皆さん,おめでとうございます!
学校名 | 学年 | 氏名(敬称略) |
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水戸市立五軒小学校 | 第5学年 | 稲田 礼 |
水戸市立常澄中学校 | 第1学年 | 大場 星寧 |
学校名 | 学年 | 氏名(敬称略) |
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水戸市立緑岡小学校 | 第5学年 | 佐藤 諒介 |
水戸市立渡里小学校 | 第5学年 | 田中 悠悟 |
水戸市立吉田小学校 | 第6学年 | 綿引 愛花 |
水戸市立飯富小学校 | 第6学年 | 弓野 うた |
水戸市立第四中学校 | 第1学年 | 伊藤 璃咲 |
水戸市立国田義務教育学校 | 第7学年 | 公文 樹 |
水戸市立常澄中学校 | 第2学年 | 吉川 奈那 |
水戸第一高等学校附属中学校 | 第2学年 | 藤芳 莉子 |
水戸市立第二中学校 | 第3学年 | 木村 彩那 |
水戸市立国田義務教育学校 | 第9学年 | 中森 らら |
学校名 | 学年 | 氏名(敬称略) |
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水戸市立三の丸小学校 | 第5学年 | 関澤 遥香 |
水戸市立笠原小学校 | 第5学年 | 中崎 由唯 |
水戸市立吉沢小学校 | 第5学年 | 青田 凛佳 |
水戸市立三の丸小学校 | 第6学年 | 野村 和花 |
水戸市立酒門小学校 | 第6学年 | 塙 華英 |
水戸市立吉沢小学校 | 第6学年 | 諏佐 真斗 |
水戸市立第二中学校 | 第1学年 | 猿田 椛乃 |
水戸市立第五中学校 | 第1学年 | 田中 あかり |
水戸市立第五中学校 | 第2学年 | 長谷川 真白 |
水戸市立国田義務教育学校 | 第8学年 | 中間 汐音 |
水戸英宏中学校 | 第2学年 | 大芦 清虎 |
水戸市立双葉台中学校 | 第3学年 | 樋口 妙音 |
水戸市立内原中学校 | 第3学年 | 金子 千夏 |
茨城大学教育学部附属中学校 | 第3学年 | 清水 萌結 |
私は平和とは何か,考えてみた。私の思う平和は,学校に行って一輪車で遊ぶこと,ピアノを弾くこと,サックスを吹くこと,買い物に行くことなど楽しいことに囲まれて過ごすことだ。ただ,嫌なこともある。ピアノがうまく弾けないときは不幸な気持ちになる。しかしそのような時が,平和でないわけではない。幸せな時も不幸な時もあるのが平和で,生きているからこそ感じられる,と気づいた。
私の曽祖父は,赤紙が来て,兵隊になるための身体検査に行ったが,足が不自由だったため,兵隊不合格になったそうだ。私の曽祖母は,兵隊に行かなくて済んでよかった,と思ったそうだ。でもその気持ちは隠し,曾祖父が兵隊になれなかったことも近所には隠して,曾祖父は隠れるように住んでいたそうだ。当時は兵隊に行けない男の人は非国民と言われ,とても肩身の狭い思いをしたのだそうだ。
もっと戦争のことを知りたくなり,水戸市平和記念館に行った。バケツリレーの練習の様子や,千本針が展示されていた。一番印象に残ったのは,当時のおもちゃの写真だ。女の子と書いてある方に写っていたのは,人形,おままごと道具,ビーズなどだった。男の子と書いてある方には,刀,コマ,弓矢,飛行機など。私はこれを見て,うちにある,私や兄や弟が持っているおもちゃと変わらないな,と思った。戦争の時代は遠い昔のことだと思っていたけれど,私が感じる幸せと,当時の子供たちが感じていた幸せは変わらないものだったのかもしれないと思うと身近に感じた。そんな子供たちが戦争に巻き込まれ,たくさんの子供たちが死んでしまって大好きなおもちゃで遊べなくなってしまったのだな,と思うと悲しくなった。
私は料理が好きなので,戦時中の料理体験をしようと思い,すいとんを作ってみた。他の具材は無し,味噌だけで味付けをした。戦時中はこれがごちそうだったそうだ。おいしかったが,今の時代にこれが給食に出てきたら,誰も喜ばないだろうな,と思った。
今の時代も戦時中も幸せを感じたり,嫌だな,と感じたりするのは,生きているからこそだ。死んでしまっては何も感じられない。私が今生きているのは,曾祖父が戦争に行かず戦死しなかったおかげで,祖母が生まれ,母が生まれ,私が生まれたからだ。今私が生きているのは,たくさんの偶然の重なりの結果なのだと思う。平和な世の中を大事にしたいと考えられるのも,生きているからこそだ。たくさんの偶然でつながってきた命に感謝して,平和のために貢献していきたいと思う。今考えているのは,次の世代に戦争の恐ろしさ,平和の大切さを伝えていくことだ。
最後に,私は平和を祈って記念館に置いてある折り紙で鶴を折った。戦争の無い平和な世界でありますように,と祈りながら折った。
「皆が平和でありますように」
誰もが一度は願った事があるのではないでしょうか。
『七十九年前の夏…広島』
と聞いて,どれだけの人々があの惨劇を思い出すのでしょうか。
私は,戦争を経験する事無く今を生きている。けれど,幼い頃から毎年八月は,欠かさず原爆慰霊祭の中継が流れるテレビに向かい,母と姉と共に黙とうを捧げていた。その当時は,理解する事が出来ず,ただ一分間,母と姉の真似をしていたのを覚えている。
そして,月日が流れ,自分からその事に興味を持ち調べ理解してからは,何の罪も無い無念の死をとげた人達に,哀悼の意を捧げ,平和への祈りを込めて,黙とうを行うようになった。
私は,以前,広島に落とされた原子爆弾によってもたらされた被爆者や被害の実際の写真やパンフレットや映画を見る機会があり,目を背けたくなるくらいの強い衝撃を受けた。人の皮ふは真っ黒に焼かれただれ落ち,体中にガラスの破片が突き刺さったまま子供を抱いている母親,家族や友人を失い,家や町はあとかたも無く焼け野原になって,まるで地獄絵図のような光景が記されていて一生忘れる事は出来ないと強く思った。
現在も,世界のどこかでは戦争が起きている。その戦闘の中でも記憶に新しい,ロシアとウクライナの戦争は続いていて,核保有国が核をちらつかせ脅している状況下にある。けれど,連日流れていたこの報道も,時が経つにつれ報道が少なくなりつつある。両国とも把握できないほど死者が出ているのに,人が死ぬこととの引き換えとして平和を手に入れようとする大人の身勝手さに憤りを感じる。人の命は,そんな軽いものではない。そして,この平和な日本に生まれ生活している私達は,考え方,宗教,文化の違いによって対立が生まれている現実をもっと知るべきだと思う。
そして,私が今不安に思うのが,憲法第九条が変わってしまうかもしれないというニュースを耳にした事だ。日本は,武器を持たない,戦争をしないと憲法で定められているが,アメリカが戦争を始めたら,助ける事になるかもしれないという衝撃的な内容だ。手助けをするという事は,戦争に加担するという事。戦地に行くような未来に絶対に幸せは訪れないし,そんな平和を誰も望んでないはず。この憲法は,誰かの大切な人の命や笑顔を守りたいと願う沢山の思いから出来たと私は思う。
このどこまでも続く空の下,声を上げ泣き叫び助けを求める事も出来ず,見えない敵に怯える人々を忘れてはいけない。
このおぞましい現実,悲惨さを伝えるには,目を背ける事なく自分の目や耳で現実を知る事が大切だと思う。そして,過去を決して変える事もそれを無かった事にしてもいけない。
未来というのは,今この世に生きている私達が,手を取り合い,相手の声に耳を傾け,武器を捨て,憎しみ合う事なく,対話によって心と心を繋ぐ架け橋を築いていくことが世界中の人々の笑顔と平和な日々をもたらすはずだ。戦争からは,怒りや憎しみしか生まれない。血の雨が降るだけ。だからこそ,過去の教訓を生かし,風化しないよう未来にどう語り継ぎ,たすきを繋げていくかが,私達若者に課された『使命』であり,『責任』であると思う。
そして,私は今年の夏もまた,八月に原爆の犠牲者を思い手を合わせ,哀悼の意を捧げ,世界平和を強く願うだろう。