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令和元(平成31)年度「わたしたちの平和」作文コンクール

ページID:[[open_page_id]] 更新日:2022年6月13日更新 印刷ページ表示

コンクールの概要

 子どもたちが平和への関心を高めて、平和な社会・まちづくりについて考えることを目的として、「わたしたちの平和」作文コンクールを開催しました。

  • テーマ:平和について私が思うこと・主張したいこと
  • 対象:市内の小中学校に通う小学5年生から中学3年生まで
  • 応募総数:9,519点
  • 表彰:最優秀賞 小学生1人・中学生1人、優秀賞 小学生4人・中学生6人、佳作 小学生5人・中学生8人 計25人

審査結果

最優秀賞
学年 学校名 氏名(敬称略)
小学6年生 妻里小学校 丹下 愛子
中学2年生 緑岡中学校 森嶋 乃恵
優秀賞
学年 学校名 氏名(敬称略)

小学5年生

三の丸小学校 石本 惺大
小学5年生 酒門小学校 竹上 和真
小学6年生 梅が丘小学校 笠井 宥志
小学6年生 茨城大学教育学部附属小学校 生天目 理子
中学1年生 第一中学校 久冨 莉歩
中学1年生 石川中学校 久保田 ひとみ
中学2年生 見川中学校 渡野邉 徳香
中学2年生 茨城大学教育学部附属中学校 柳生 莉彩子
中学3年生 緑岡中学校 西垣 美織
中学3年生 茨城大学教育学部附属中学校 松田 直子
佳作
学年 学校名 氏名(敬称略)
小学5年生 緑岡小学校 田村 維吹
小学5年生 石川小学校 蔀 颯良
小学5年生 内原小学校 川原井 栞
小学6年生 三の丸小学校 小笠原 輝
小学6年生 緑岡小学校 鈴木 咲良
小学8年生 国田義務教育学校 木村 円香
中学1年生 笠原中学校 白濱 さくら
中学1年生 内原中学校 中山 珠香
中学2年生 赤塚中学校 柴沼 凛
中学2年生 茨城大学教育学部附属中学校 武藤 太一
中学3年生 第四中学校 佐藤 涼音
中学3年生 笠原中学校 飯村 陽依
中学3年生 千波中学校 橘 希奈

集合

未来をつくるのは私たち

妻里小学校 6年 丹下 愛子 さん

 五月一日、日本は新しい時代を迎えました。テレビからは、「令和」という元号を喜ぶ人々の姿と「この時代も平和であってほしい。」という声が流れていました。

 私は、水戸空しゅうで生き残ったイチョウの木を知っています。今までその前を何度か通っていましたが、気に止めることなく歩いていました。母に教えてもらうまでは。

 イチョウの木は、約二時間の空しゅうをたえぬいたそうです。そんな話を聞いて、楽しそうに街を歩く私たちを、今、どんな気持ちで見つめているのだろうかと思うようになりました。そして、イチョウの木が見た戦争とはどんなものだったのかを知りたくなりました。

 水戸空しゅうは今から七十三年前の八月二日、みんながねしずまった夜中に始まりました。千百四十五トンのばくだんが落とされたのです。これは、私たちの体育館に約百本の割合で焼いだんが落とされたことになります。私の背の高さと同じくらいの焼いだんは、たくさんの命をうばいました。建物が燃やされ、どうやってにげたらよいのか苦しい思いをした人が大勢いたことでしょう。水戸駅前もほとんどが焼けてしまったそうです。

 アメリカ人は人を殺したくてばくだんを落としたとは思えません。戦争をすることは、日本人もアメリカ人も「お国のために」と言ったそうですが、だれがそう言わせたのでしょうか。だれがそうさせたのでしょうか。本当は、だれも死にたくなんてなかったのです。

 東海村の海の向こうから飛行機が飛んできて水戸の方に向かったあの日、祖母のお姉さんは女学校の三年生でした。飛行機が飛んでいった方角の空は、夕焼け空のように赤くそまりました。遠くはなれたところでも見えた夕焼けは、水戸の町を焼いた火の色だったのです。現在、八十八才になるばあは「今の日本は、ぜいたくで、わがままし放題になってしまった。今の人だったら、戦争の時代は生きられなかった。」と言います。ランドセルにたくさんの夢を入れて毎日学校に通う私には、防空ずきんをかぶり、救急ぶくろに包帯とかんそういもを入れて歩いていたばあの姿を想像することは難しいです。

 でも、当たり前だと思っている、この生活が、「幸せ」なんだということなら分かります。今も戦争をしている国のことがニュースで流れるたびに、私たちの幸せを感じます。

 たった二文字で書ける「戦争」は、日本では十五年も続きました。生きたかったのに生きられなかった人、大切な人を失ってしまった人。その人たちの分まで、強く正しく生きたいと思います。勉強がいやだと思わないで、何にでも挑戦したいと思います。歴史や科学を知って、未来の平和につながることをしたいです。イチョウの木は、きっと私たちにそんなことを願っているはずです。

平和のとうもろこし

緑岡中学校 2年 森嶋 乃恵 さん

 ミサイルや戦闘機、空爆音、私はそれらを映像や文書の中でしか知らない。しかし、世界のいたる所ではまだそれらに日々おびえながら暮らしている人達がいる。見上げた空に飛び交う黒い物体を、幼い子供達はどんな思いでみつめているのだろうか。

 戦争のない今の日本で私は幸せに暮らせている。おいしいご飯を食べ、友人と笑い合い、温かいお風呂に入り布団で眠る。そんな私にとって当たり前の日常が一瞬で壊されるのが「戦争」である。武器をまとい、罪のない人々の命が犠牲になる。戦うことに何の意味があるのだろう。人には「言葉」という力がある。その言葉で話しあい、解決し、手を繋ぐことは、そんなに難しい事なのだろうか。

 日本には「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」という非核三原則がある。これは私達の国日本が世界で初めて原爆を落とされ、何十万人という命の犠牲をもとに出来た原則である。しかし、今の日本で戦争はなく核兵器を持たなくとも、近隣諸国ではミサイルを打ち上げ、それが日本の上空を飛んでいくという事が実際におきている。戦争を「する側」ではなく「される側」にいつでもなりうるという事を忘れてはならないし、私達日本人は声を大にして核兵器の恐怖を世界中の人達に伝え続けていかなければならないのだ。

 真夏の日、私は甘いとうもろこしを食べながら終戦のニュースを観る。その度に広島や長崎の原爆の恐怖を遠い昔の出来事として風化させてはいけないのだと毎年痛感する。

 私の亡くなった曽祖父は、とうもろこしを絶対に口にしなかったそうだ。兵役を目前に控えた時、終戦をむかえたという。戦時中、戦後という食糧難の中、必死に働き、畑で作物を栽培しながら子供達を育てたと母から聞いた。おそらく、その戦時中の際にとうもろこしを口にしなくなるつらい出来事があったのではないだろうか。しかし、それを母がいくらたずねても曽祖父が口を開いてくれる事はなかったそうだ。それ程までに戦争という過去は曽祖父の心に深い傷をおわせたのだ。幼い私を自分の膝にのせ、おいしそうにとうもろこしをかじる私を曽祖父はどんな思いで見つめていたのだろうか。原爆や戦争の映像をどんな思いで観ていたのだろうか。とうもろこしを食べる度にその曽祖父の姿を思い出さずにはいられない。

 多くの犠牲の上に今の平和が成り立っているという事。そしてその平和を守り続けていかなければならないという事。私が出来る事はほんの小さなかけらかもしれない。けれどその一人一人のかけらを集めれば大きなかけらとなり平和への架け橋が出来上がるはずだ。

 とうもろこしを一粒一粒かみしめながら思う。曽祖父が残してくれた平和という幸せのこの味を。