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令和3年度「わたしたちの平和」作文コンクール

ページID:[[open_page_id]] 更新日:2022年6月13日更新 印刷ページ表示

コンクールの概要

 子どもたちが平和への関心を高め、平和な社会・まちづくりについて共に考え、行動する力を育むことを目的として、「わたしたちの平和」作文コンクールを開催しました。

  • テーマ:平和の大切さについて私が思うこと、主張したいこと
  • 対象:市内の小中学校に通う小学5年生から中学3年生までの児童・生徒
  • 応募総数:7,470点
  • 表彰:最優秀賞 小学生1名・中学生1名、優秀賞 小学生4名・中学生6名、佳作 小学生7名・中学生8名 計 27名

作文朗読の音声を公開

入賞者による作文朗読の音声を録音しました。公開する媒体は以下のとおりです。

  • FMぱるるん
    放送日時:9月13日(月曜日)~9月28日(火曜日)7時10分、11時15分
     1日2名の作文を放送します。
  • 水戸市平和記念館
    放送日:9月23日(木曜日)~
    ※本コンクール入賞者の作文も展示しています。

ご協力いただいた皆さん、ありがとうございました。

審査結果

最優秀賞
学校名 学年 氏名(敬称略)
水戸市立酒門小学校 第5学年 竹上 拓真
水戸市立見川中学校 第3学年 角田 結菜
優秀賞
学校名 学年 氏名(敬称略)
水戸市立双葉台小学校 第5学年 高塚 花映
水戸市立見川小学校 第5学年 渡邊 葉月
水戸市立緑岡小学校 第6学年 鈴木 凰介
茨城大学教育学部附属小学校 第6学年 海老根 理咲
水戸市立赤塚中学校 第1学年 高橋 杏莉
茨城大学教育学部附属中学校 第1学年 正木 文乃
水戸市立見川中学校 第2学年 荒井 夏帆
水戸市立第一中学校 第2学年 鈴木 悠乃
水戸市立第二中学校 第3学年 萩谷 柚奈
水戸市立第四中学校 第3学年 吉野 遥也
佳作
学校名 学年 氏名(敬称略)
茨城大学教育学部附属小学校 第5学年 金村 隼
水戸市立河和田小学校 第5学年 増田 真衣
水戸市立赤塚小学校 第5学年 古川 奈央
水戸市立河和田小学校

第6学年

平戸 理歩
水戸市立新荘小学校 第6学年 高野 彩姫
水戸市立千波小学校 第6学年 清水 唯衣
水戸市立笠原小学校 第6学年 香取 漸
水戸市立第五中学校 第1学年 廣木 空
水戸市立見川中学校 第1学年 松田 友梨奈
水戸市立見川中学校 第1学年 峯岸 雅人
水戸市立千波中学校 第2学年 香取 大介
茨城大学教育学部附属中学校 第2学年

政 美羽

茨城中学校 第2学年 山本 愛莉
水戸市立緑岡中学校 第3学年 長谷川 夏那
水戸市立第五中学校 第3学年 岡田 真知

入賞された皆さん、おめでとうございます。

最優秀賞作文(小学生の部)

大切なお弁当 水戸市立酒門小学校 5年 竹上 拓真

 「今日のお弁当には何が入っているかな。」
 小学校がお弁当の日は、お母さんがお弁当のおかずを作る音といいにおいで目が覚めて、とてもわくわくします。ぼくは、お母さんの作るお弁当が大好きなので、いつもお弁当の時間が待ちきれません。

 でも、2年前の夏、ぼくは戦争のためにお母さんの作ったお弁当を食べられなかった子がいたことを知りました。水戸市役所へ見に行った「ミニミニ原爆展」に、原子爆弾を投下された後の広島の写真が展示されていました。ぼくは、一緒に行ったお母さんが、1枚の写真の前でじっと立ったままなのを不思議に思って、理由をたずねました。お母さんは、その写真について説明してくれました。
 「これは、炭化したお弁当の写真だよ。原子爆弾が投下された時、このお弁当をかかえたまま亡くなった子がいたんだよ。きっとお母さんの作ってくれたお弁当が大切だったんだろうね。」

 ぼくは、自分が生まれるずっと前に起きた戦争で亡くなったその子のことが、急に身近に思えました。お母さんが作ったお弁当を大切に思う気持ちがぼくと同じだったからです。家に帰って広島の原爆資料館のホームページを調べると、その子は折免滋さんという中学1年生だと分かりました。建物そ開のために今の平和記念公園近くで作業していた時に被爆したそうです。
戦争は、戦場で戦う大人だけでなく、今のぼくと変わらない子どもも巻きこむことを初めて知りました。

 ぼくは、大人も子どももきずつくのに、どうして日本が戦争をしなければならなかったのかと不思議に思いました。お父さんと一緒に、広島に原子爆弾が投下された第二次世界大戦について調べると、他の国の資源や領土をうばい、自分の国の意見を通すために戦争が始まったことが分かりました。ただ、多くの人がきずつくことが分かってる戦争を始める理由にはどうしてもならないと思いました。ぼくは、昔の人たちは助け合おうと思う気持ちが足りなかったのかなと考えました。

 でも、ぼくもお兄ちゃんと時々けんかをします。自分の思い通りにならないと、相手がいたいと分かっていてもたたいたり、けったりしてしまう時があります。国と国でも、自分の考えを押し通そうとして相手の国のことを考えられなくなり、戦争が始まってしまうのだと思います。

 ぼくは、二度と子どもがお母さんの作ってくれた大切なお弁当をかかえたまま亡くなることがないように、平和な世の中が続いてほしいです。そのために、ぼくはまず、今度誰かとけんかになりそうな時には、自分の意見を通したいと思う気持ちを少しがまんして、相手の意見を聞いてみようと思います。相手の気持ちも考えて、ぼくと相手のお互いが納得できる方法を一緒に探して解決したいです。そして、平和な世の中が続いていくように、この小さな一歩を積み重ねていきたいです。

最優秀賞作文(中学生の部)

過去から学ぶ平和な世界 水戸市立見川中学校 3年 角田 結菜

 1945年、8月6日に広島、9日には長崎に原子爆弾が投下された。私は今まで、戦争についてよく知らなかったため、日本は何の罪もないのに外国から原爆を投下された被害国だと思っていた。しかし、授業で習ったことによると、事実は少し違った。日本も戦争に参加していたが、協力していた国が次々と降伏。日本も兵士や民間人など、多くの犠牲者が出ていた。しかし、ポツダム宣言を受け入れなかったため、アメリカから原爆を投下されたのだという。日本がポツダム宣言を受け入れなかったのは、少しでも日本に有利な条件で講和条約を結びたかったからだそうだ。この時、日本は兵士や民間人の命のことは何も考えていなかったのだろうか。兵士や民間人を都合のいいように利用していただけではないか。原爆によって、それまで日本が勝つために苦しい暮らしをしてきた大勢の人の命が一瞬にしてうばわれてしまった。

 こんな悲惨な出来事はもう二度と起こしてはいけない。そのために日本は、唯一原爆を投下された国として、原爆のおそろしさや失う物の大きさをもっと世界に伝えていかなければいけないと思う。そして、日本自身も過去のあやまちをくり返さないために戦争をしないという意志を強く持たなければいけない。そのためには、日本の若い人々がもっと戦争について知るべきだと思う。現に私は戦争について最近までくわしくは知らなかったため、どこか他人事で、もう戦争なんて起こるはずがないと思っていた。しかし、今新型コロナウイルスの感染が拡大しているように誰も想像していなかったことがこれから起こるかもしれない。それを防ぐために若い人の戦争に対する認識と関心を高め、そこから世界に発信していくべきだと考えた。

 これを達成するために私にできることは何だろうと考えたとき思いついたのは、命の大切さについてちゃんと考えられる子供の育成だった。私には教師になりたいという夢がある。しかし、なぜ教師になりたいのか明確な理由は自分でもわからなかった。そのため、理由もないのに自分が教師になっていいものかと思い悩む時期もあった。だが、この作文を通して平和について考えたとき、命の大切さを感じ、戦争をなくすという考えを持つ人を自分の手で増やしていきたいと思った。これを目標にこれからは教師への道を進んでいきたい。

 私のように夢を持つことができ、不自由のない生活ができること、今、生きていられることをあたりまえだと思わない。そして、誰もが他人事だと思わず、戦争について深く考えることができたら「平和」な世の中になると私は思う。