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令和2年度「わたしたちの平和」作文コンクール

ページID:[[open_page_id]] 更新日:2022年6月13日更新 印刷ページ表示

コンクールの概要

 子どもたちが平和への関心を高めて、平和な社会・まちづくりについて共に考え、行動する力を育むことを目的として、「わたしたちの平和」作文コンクールを開催しました。

  • テーマ:平和の大切さについて私が思うこと、主張したいこと
  • 対象:市内の小中学校に通う小学5年生から中学3年生までの児童・生徒
  • 応募総数:5,554点
  • 表彰:最優秀賞 小学生1名・中学生1名、優秀賞 小学生4名・中学生6名、佳作 小学生5名・中学生7名 計24名

審査結果

最優秀賞
学年 学校名 氏名(敬称略)
小学6年生 三の丸小学校 白田 実千留
中学1年生 第一中学校 小菅 龍之介
優秀賞
学年 学校名 氏名(敬称略)
小学5年生 常磐小学校 西澤 優茉
小学5年生 渡里小学校 小松澤 正雄
小学6年生 酒門小学校 柴崎 順恒
小学6年生 稲荷第一小学校 坂本 はづき
中学1年生 第三中学校 加藤 玲哉
中学1年生 茨城大学教育学部附属中学校 吉村 伊織
中学8年生 国田義務教育学校 戸崎 千尋
中学2年生 赤塚中学校 園部 はな
中学3年生 笠原中学校 丹代 陽菜
中学3年生 見川中学校 今泉 遥
佳作
学年 学校名 氏名(敬称略)
小学5年生 三の丸小学校 山本 理心
小学5年生 国田義務教育学校 後藤 明澄風
小学5年生 双葉台小学校 三木 梨緒奈
小学6年生

渡里小学校

伊藤 遼
小学6年生 下大野小学校 高橋 真花
中学1年生 笠原中学校 君山 真菜
中学2年生 笠原中学校 菅谷 琴水
中学2年生 茨城中学校 小野 慎馬
中学2年生 緑岡中学校 後藤 こころ
中学3年生 第二中学校 見澤 麗
中学3年生 赤塚中学校

岩崎 真麻

中学3年生 千波中学校 大森 真菜

集合

平和と教育 ~学ぶことの幸せ~

三の丸小学校 6年 白田 実千留

 私にとって「平和」とは、ペンを持つ楽しみ、教科書を開き学ぶワクワク感、そこから広がる未来への可能性です。

 昨年の秋、広島原爆の被爆者である茂木貞夫さんが学校に来てくださいました。読み聞かせグループの方による紙芝居と一緒に、被爆体験をお話しして頂きました。

 茂木さんは、小学生の頃、朝の登校時に被爆されました。一緒に登校していた友達の姿を一瞬にして見失い、近くの川には、多数の人々が変わり果てた姿で流されている・・・。その中で茂木さんは、必死に川を渡り、自宅や家族を探したそうです。そして当然、飢えにも苦しみ、皮が腐敗したり、放射線被爆による後遺症におそわれたりしました。

 私は、この話を聞き、紙芝居の絵を見ても、今現在の風景とはかけ離れすぎていて、想像がつきませんでした。しかし、茂木さんの体験談を聞いて何より一番心に残ったのは、「勉強がしたかった。」という一言でした。この一言が私の心にしょうげきを与えたのです。

 私達は、普段当たり前のように学校へ行き、友達と一緒に学び、給食を食べ、放課後に吹奏楽や習い事をしています。その中で、夢を見つけ目標に向けて頑張ることができています。でも小学生の頃の茂木さんは、戦争という全く関係ない事ですべてが犠牲になりました。

 「勉強がしたかった。」この言葉の中には、茂木さんの夢や希望がたくさん入っていたように聞こえました。

 そして、私にも茂木さんの言葉が身に染みて感じた出来事が最近ありました。それは、新型コロナウイルスによる突然の休校宣言でした。今まで当たり前にあった学校生活がすべてなくなり、外出もできないステイホームの生活が始まったのです。家族と一緒に過ごす時間は増えたものの、時間が経つにつれ学校で勉強したいという気持ちが強くなりました。そこで私も「学ぶことの尊さ」を初めて知ることができました。今までの生活は、どれだけ平和で幸せなことだったのかを痛感したのです。茂木さんが経験した戦争とは、比べものにならないくらい小さなことかもしれませんが、それでも、辛く、悲しい日々だったので茂木さんのことを思うと何ともいえない失望感をいだきました。

 茂木さんは、講演会の最後に私達へ「勉強をたくさんしなさい。」とメッセージをくださいました。

 平和とは、やはり自由に学べることだと思います。学校に行けるということは、学びだけではなく、人を豊かにさせることだと思います。それが平和につながることではないでしょうか。時代は、変わっても今も昔も平和の形は変わりません。これからも子供達が豊かに学べる国を私達が造っていきたいと思います。

平和な未来へ想いを繋ぐ

第一中学校 1年 小菅 龍之介

 祖父は以前、偕楽園やその周辺の話を紹介するテレビの取材を受けたことがあります。

 「水戸は私を守るゆりかご。特に桜川は故郷(ふるさと)の歌詞にあるように、小鮒(こぶな)釣りし彼(か)の川、山は青き故郷、水は清き故郷、そのとおりで私の故郷の原風景がここにある。」いきいきと話をする祖父の姿が強く心に残っています。

 同じ桜川の思い出でも祖父にとっては美しい風景だけではないことを私は知っています。それは水戸の空襲です。当時九歳だった祖父は桜川で魚釣りの最中、パイロットの顔が見える程の距離からアメリカの攻撃にあったそうです。大急ぎで近くの木の陰に身をかくした祖父。私は自分が攻撃されて逃げる場面など想像することもできません。たった九歳の祖父が味わった恐怖はどれほどだったか考えると言葉も出ません。

 さっきまで魚釣りに夢中になっていた桜川での幸せな時間がうばわれた瞬間でした。

 祖父は私にも何度も戦争の話を聞かせてくれます。一面焼け野原になった水戸の街が映っている写真を見せてもらうと、今の街並みからは想像ができない光景が広がっています。戦争は人々からたくさんの物や大切な思い出までうばってしまったように感じます。楽しい未来や希望の光が見えなくなり絶望や恐怖、悲しみの中にいる人たちのことを思うと胸が苦しくなります。

 今の私の毎日は大切な人達に守られて、不便や不自由を感じることなく、おだやかに過ごしていますが、祖父から戦争の話を聞くたび、何気なく過ぎていく毎日が当たり前ではなく、とても大切で特別なことのくり返しだということに気づかされます。

 祖父は戦争語り部(かたりべ)として、戦争のおそろしさや平和の尊さを伝える活動を続けています。水戸市のぴ~すプロジェクトに参加し、祖父の話を聞いた高校生バンドが平和への想いを込めたオリジナル楽曲を演奏してくれた時は、若い人に自分の想いが伝わったことをとても喜んでいました。戦争を風化させないという祖父の活動がひとつ実を結んだのです。

 祖父と話をするうちに平和とは一体どういうことだろうと改めて考えさせられました。

 祖父は戦争という恐ろしい体験をした桜川に「故郷の原風景」を思い出しています。桜川でも楽しい思い出を話す祖父の笑顔は私にとって「平和」そのものです。世界の人達が楽しい時間、夢や希望に満ちあふれた時間を過ごせること、大切な人達が笑顔でいられることこそが世界の未来を明るく照らす灯になると思います。それが平和への第一歩です。

 戦争によって誰ひとり傷つけてはいけない、もう二度と戦争を起こしてはいけない、戦争で悲しむ人を一人でも生んではいけないと固く心に誓いました。

 私ひとりの力は小さいけれど、世界の人達が私と同じ想いを持ってくれたなら、きっと世界が平和でつつまれると信じています。