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令和5年度ぴ~すプロジェクト 事業報告

ページID:[[open_page_id]] 更新日:2023年11月15日更新 印刷ページ表示

ソニック公演~音楽と語り部~を開催しました。 9月10日(日曜日)

水戸市語り部「柏俊子さん」の戦争体験を聞き、若い世代が平和への想いを込めて作ったオリジナルの楽曲やパフォーマンスを披露しました。
イベントの最後には、アーティストと語り部の対談もあり、音楽を通して平和の大切さについて会場にいるみなさんに伝わるイベントでした。
たくさんの方にご来場いただきありがとうございました。

『中国北京からの引き揚げ』 語り部:柏 俊子さん

語り部 柏俊子さん  語り部 柏俊子さん

 ~あらすじ~
 父親の職務の関係で両親は中国に渡り、日本領事館の指令部に勤務していた。私は、1939年北京で長女として生まれた。今思えば当時は、お手伝いさんを2,3人使い夢のような暮らしをしていたと思う。終戦間近の頃になると、空襲・爆撃・飛行機の墜落と街は異様な空気と化していた。そして、1945年8月15日、玉音放送で日本の敗戦を知った。それと同時に日本人に対する中国人の態度が180度変わり、中国人に連れ去られる人、殺される人、親子がバラバラになる光景が見られた。そんな光景を目の当たりにして「日本は負けたんだ…」と実感した。
 その日から、中国の行商人は日本人には何も売ってくれない。1946年1月3日、中国をあとに私たち5人家族(両親・私7歳・弟5歳・妹0歳)を含め、105世帯は引き揚げざるを得なくなった。無事に内地に帰れるとは誰も思っていない。ただ、日本人が以前より親しくしていた中国人は、私たちの身を案じてくれる者、水を売ってくれる者もいた。最初は中国青島(チンタオ)の港まで貨物列車に乗って日本までと思っていたが、線路が爆破され前3両が吹き飛んだ。幸い後部にいて生き延びた私たち家族は、牛車と徒歩で移動することになった。昼間は八路軍(中国共産党軍)に見つかると射殺されてしまうので夜間を歩いた。母の話だと済南(サイナン)から青島まで列車で9時間の道のりを1日5,6里(約20キロ)の割合で35日間かかったという。行けども行けども道のないこうりゃん畑と砂漠の連日。まれに集落へさしかかると日本兵が暴れたところでは襲撃、反撃に遭う。日本へいつか帰れるという気力で生きている命を明日へとつなげ、飢えと疲れを乗り越えてきたのだ。
 やっと青島の日本人収容所にたどり着いた。船に乗れば襲撃に遭わないという安心感を今でも覚えている。ホッとしたのもつかの間、玄界灘の横断軍艦の貨物船では、船酔いと大陸の病気を持った大人、子ども、誰もが気力も体力も尽き果てていた。船中からは赤く焼かれた軍艦がここかしこに点在していた。2月の真冬の夜7時頃上陸の合図。今までとは打って変わり、みんな浮き足だって船から降りた。しかし、初めて上陸した佐世保には、米国の軍人しかいなかった。DDT(殺虫剤)を頭から足の先まで振りかけられた。体力のない者はそこで力尽きた。やっと内地にたどり着いたのに…。収容所に4、5日留まった。そこで初めて温かいすいとんを食べた。あのすいとんがおいしかったこと今でも忘れられない。我が家では、時々この話をしながら特製のすいとんを作る。なつかしい味だ。
 着の身着のまま命からがらやっと日本の土を踏むことができたのだ。中国から引き揚げをしようとしていた105世帯も家族そろって日本にたどり着けたのはたった3世帯。当時の私の記憶のまま引き揚げのつらかったこと、戦争の傷あとは今も深く口をあけたままになっていることを分かっていただければと思う。

出演アーティスト

未咲

未咲 弾き語り  未咲 弾き語り  

re-mito(レミト)

レミト パフォーマンス  レミト パフォーマンス ​

nikiie

ニキ―さん 弾き語り  ニキ―さん 弾き語り

対談

対談  対談

集合写真

東京と水戸の若い世代が伝える戦争・空襲を開催しました。 8月19日(土曜日)
場所:Zoomにて配信

東京と水戸の若い世代が、それぞれのまちが受けた空襲や戦争時代を学び、自分の言葉で想いを伝えました。

若い世代発表  若い世代の発表

若い世代の発表  若い世代の発表

映画上映会「太陽の子」を開催しました。 8月19日(土曜日)
場所:ザ・ヒロサワ・シティ会館小ホール

”日本の原爆開発”を背景に、3人の若者の決意と揺れる想いを描いた映画。
たくさんの人にご来場いただきました。

太陽の子 パネル展  太陽の子 パネル展

太陽の子 会場

 

平和作文朗読発表会とオルガン・コンサートを開催しました。 8月12日(土曜日)
場所:水戸芸術館エントランスホール

「わたしたちの平和」作文コンクールで最優秀賞を受賞した水戸市立渡里小学校6年の小泉裕貴さんと優秀賞を受賞した水戸市立見川中学校2年の櫻井亜璃彩さんが作文を朗読しました。作文の朗読に合わせてオルガニストの高橋博子さん、クラリネット奏者の重松希巳江さんによる演奏も行われました。平和への願いを込めたお二人の音色がエントランスホールに響き渡りました。たくさんの方にご来場いただきました。

最優秀賞 小泉裕貴さん  最優秀賞 小泉裕貴さん

優秀賞 櫻井梓璃彩さん  優秀賞 櫻井梓璃彩さん

パイプオルガンとクラリネットの演奏  集合写真

わたしたちは戦争を忘れないを開催しました。 8月2日(火曜日)、8月15日(月曜日)
場所:みと文化交流プラザ

昭和20年8月2日の午前0時31分から2時16分までの間、水戸の街はアメリカ軍の空襲を受けました。この空襲により、市街地のほとんどは焦土と化し、死者の数は300人を上回りました。
両日ともに、たくさんの方にご参加いただき、語り部などが話す貴重な戦争体験に耳をかたむけていました。

8月2日(水曜日)
水戸市語り部  田添 洋子さん、大谷 岩男さん

語り部 田添さん  語り部 大谷さん

戦争中のもの

8月15日(火曜日)
住谷定さん、鈴木暎一さん

住谷さん  鈴木さん

戦争中のもの 

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