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1550年~1610年(天文19年~慶長15年)
江戸時代初期の幕府代官。幕府の政治・経済の基本となる政策を担当し、検地や河川改修などに重要な役割を果たしました。特に水戸藩初代藩主徳川頼房公の仰せにより千波湖から水を引いて用水路「備前堀」を造ったことはよく知られています。この水の恵みは現在にまで及んでいます。
1600年~1682年(慶長5年~天和2年)
明の儒学者。明朝が滅亡し長崎に亡命していた舜水を、水戸藩第2代藩主徳川光圀公が師として水戸藩に招きました。舜水の学問は、空論を排し実学を尊び、その学識は、祭器、養蚕、種痘の処方に及びました。中でも正式の儒学、釈典の礼法を伝えて、藩士を教育しました。実用的な学風が水戸藩に起こったのはこの舜水の影響といえます。
1628年~1700年(寛永5年~元禄13年)
詳しくは、「徳川光圀」のページをご覧下さい。
1656年~1737年(明暦2年~元文2年)
水戸藩士。儒学者。10歳のとき水戸藩第2代藩主徳川光圀公が招いた明の儒学者、朱舜水に入門し学問を修めました。28歳のとき彰考館(光圀公が開設した「大日本史」の編さん所)に入り「大日本史」の編さんに従事、38歳で6人目の彰考館総裁に就任しました。晩年には、新井白石、荻生徂徠などの学者と学問的交渉を深め、水戸学を代表する学者として信望を集めました。
1777年~1813年(安永6年~文化10年)
画家。水戸に生まれました。とんぼや天狗といった異色のテーマを、奇抜な構図と奔放な線によって描きました。このような風変わりな作風のために、一般には認められず、長く埋もれた存在でしたが、近年ようやく評価が高まってきています。