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水戸藩第2代藩主。1661年(寛文元年)に水戸藩主となって以来、殉死の禁止、笠原水道の開設、貧民の救済と産業の振興などの善政を行い、藩内外から名君と仰がれました。
また朝廷を尊び幕府を助けるとともに、巨船快風丸による蝦夷地探検など藩政を越えた事業も手がけました。
特に、中国の「史記」にならって日本の歴史を編さんしようと決意し、全国から優れた学者を招き自ら監修にあたった「大日本史」は、水戸藩ばかりでなく近世日本の文化に大きな影響を与えました。1690年(元禄3年)藩主を譲り西山荘(常陸太田市)に隠居し、73歳で没しました。
義公とおくり名され、中納言の唐名から、「水戸黄門」の名で現在でもテレビドラマなどをとおして親しまれています。