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七面製陶所跡の発掘出土品を御紹介します

ページID:[[open_page_id]] 更新日:2022年8月1日更新 印刷ページ表示

幻の焼き物「七面焼」

七面製陶所跡は、天保9(1838)年、第九代藩主徳川斉昭が、神崎七面堂の南側(現在の常磐神社南側の斜面一帯)に開設した、陶磁器製造所の遺跡です。
ここで焼かれた陶磁器は「七面焼」(しちめんやき)と通称されています。明治維新を機に途絶えてしまい、「幻の陶芸」と言われていましたが、平成17年度から平成19年度にかけて、水戸市教育委員会が発掘調査を行い、約2万点に及ぶ製品や窯道具(かまどうぐ)が出土しました。

現在、本市では発掘調査報告書の刊行に向けて、発掘出土品の整理作業を進めており、「七面焼」の実態が次第に明らかになってきています。
そこで、整理作業が終了した出土品のなかから、主なものを御紹介し、バラエティ豊かな、いにしえの「七面焼」の世界を感じ取っていただきたいと思います。

七面製陶所跡(常磐神社の大鳥居付近)

「七面焼」の特徴

七面製陶所跡からは、陶器、焼締陶器(半磁器)、磁器の3種類が出土しています。このうち、最も出土数が多いのが焼締陶器です。焼締陶器とは、陶器と磁器の中間的な性質を持ち、堅く、耐水性にも優れた焼き物のことをいいます。また、磁器も数十点出土しています。当時、磁器の焼成には高い技術が必要でしたが、七面製陶所では、磁器の製造に成功していたことが明らかになりました。

「七面焼」は、薄い緑色の釉薬(灰釉)の上に、イッチンと呼ばれる技法で、白い模様を描いていくものや、鉄絵と呼ばれる黒い模様を描いていくものが多く見られます。絵付のモチーフには、水戸にふさわしい梅の花をはじめ、波千鳥(なみちどり)、鳳凰など、バラエティに富み、全体的に上品な絵付に仕上がっているのが特徴です。

発掘調査のようす

出土品紹介1 銘款(めいかん)のある焼き物

発掘出土品のなかには、ヒョウタン形の枠のなかに「偕楽園」「偕楽」と記された銘款(スタンプ)が押されている製品が数点確認されています。「偕楽園」「偕楽」という銘款は、花生や蒸し器など、嗜好品に数多く押されています。また、同様の銘款は、明治時代のお傭い外国人のモースが収集した陶磁器コレクション(ボストン美術館蔵)や、水戸徳川家の伝来品など、美術的価値の高い優品にも確認されています。
このことから、「偕楽園」「偕楽」の銘款の押された焼き物は、「七面焼」のなかでも、選りすぐられた製品に限定され、贈答用等に使用されたものと思われます。

下に示した「偕楽園」銘花生は、製造途中の素焼きの花生の破片で、斜めに銘款が押されています。素地はたいへんきめ細かく、土から丁寧に不純物を取り除いたことがわかります。焼成すれば磁器になっていたものと考えられます。

「偕楽園」銘花生片(素焼)

出土品紹介2 高い技術を要する磁器製品

七面製陶所跡からは、磁器製の碗や蓋物(ふたもの)が数十点出土しています。
江戸時代、磁器の焼成には高い技術を要し、江戸時代を通じて大量生産が可能だったのは、肥前地方(佐賀県)に限られていましたが、江戸時代後期になると、瀬戸・美濃地方(愛知・岐阜県)をはじめ、地方でも磁器の焼成に成功する窯が現れました。七面製陶所も、こうした江戸後期の磁器焼成に向けた気運に乗じたものと思われます。
記録によれば、徳川斉昭は天保12(1841)年、肥前唐津の陶工である傳五郎を水戸藩に招聘し、製陶所の拡張を図ったとされています。
出土した磁器は、肥前産の磁器によく似た文様や器形がみられ、一見すると肥前磁器と区別が付きにくい製品もあります。下に記した染付草花文磁器碗も、流麗な筆致で染付がなされ、胎土もきめ細やかで、肥前磁器の特徴をよく備えています。このようなことから、記録通り、肥前からの技術提供により、七面製陶所では磁器の焼成に成功したものと考えられます。

染付草花文磁器碗

出土品紹介3 「七面焼」の代表例 土瓶

2万点を超す七面製陶所跡の出土品のうち、最も多く出土している器種が土瓶です。
土瓶は火にかけて湯を沸かすなど、使用頻度がほかの製品と比べて高いため、消耗品的性格が強かったものと思われます。
「七面焼」の土瓶は、とても薄手ですが、焼締陶器であるため、耐久性・耐水性に優れたものでした。熱の伝導率も良いため、通常の陶器製の土瓶に比べ沸騰も早く、日常製品として重宝されたことが窺えます。
このように「七面焼」の器種は、土瓶をはじめ、鉢、片口、小皿など、日常製品として使われたものが中心でした。斉昭は、「七面焼」を高級品としてではなく、水戸の庶民が日常的に、気軽に使える日常製品の大量生産を目指していたのです。
事実、「七面焼」は、七面製陶所跡だけではなく、水戸城跡、城下町、水戸藩内の陣屋、農村の遺跡などからも出土しています。斉昭の構想どおり、「七面焼」は水戸藩内を中心として、相当量流通していたのです。

下に示したのは、焼締陶器の土瓶です。外面に鉄絵と白泥(はくでい)により梅樹文(ばいじゅもん)を上品に描いています。「七面焼」の土瓶のモチーフのなかで、梅樹文は最もポピュラーなもので、「七面焼」の特徴の一つといえます。梅は偕楽園の名物でもあり、梅を愛した徳川斉昭の意図を窺わせる作品といえるでしょう。

鉄絵梅樹文焼締陶器土瓶

七面製陶所跡 第1次発掘調査現地説明会資料[PDFファイル/2.11MB]

七面製陶所跡 第2次・3次発掘調査現地説明会資料[PDFファイル/1.61MB]

七面製陶所の発掘調査

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七面製陶所跡-第1次発掘調査現地説明会資料-[PDFファイル/2.11MB]
七面製陶所跡-第2次・3次発掘調査現地説明会資料-[PDFファイル/1.61MB]

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