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水戸の座敷舞

ページID:0095265 更新日:2025年3月19日更新 印刷ページ表示

水戸の座敷舞
水戸の座敷舞

名称

水戸の座敷舞(みとのざしきまい)
保持団体 一般社団法人水戸芸能士協会
認定区分 水戸市地域無形文化財
文化財種別 無形文化財
認定日 令和7年3月19日

 寛文年間(1661年~1672年)頃、京都の茶屋女たちが、当時流行り始めた歌舞伎を真似て三味線や踊りを披露するようになりました。これが今日の芸妓(げいぎ)の原形と言われ、江戸末期頃、江戸を経由して水戸にも流入しました。

 明治以降、水戸の芸妓は下市、上市、谷中の3地域を拠点に、かつては北関東一の数を誇りましたが、次第に下火となり、昭和2(1927)年に272人いた芸妓が、昭和56(1981)年には約90人、平成8(1996)年には14人、平成21(2009)年には2人、令和6(2024)年時点では1名のみにまで減少しました。

 水戸伝統のお座敷文化消滅の危機を感じた大工町三業組合は、昭和56年に「芸能士協会」を仮発足させ、幼少期からの徒弟制度的芸妓育成ではなく、すでに名取級の芸を持つ女性を「芸能士」に認定登録し、お座敷文化を継承する試みを始めました。平成21年には一般社団法人水戸芸能士協会が発足し、芸妓から舞・三味線の技を伝授された数名を「舞方」の名称で登録し、水戸の伝統的な舞や唄、お座敷遊びなど水戸のお座敷文化の存続を図るため活動しています。例年、水戸黄門まつりやみなと八朔まつりなどで演舞が披露されています。

 近代以降の水戸の花柳界を物語る上で欠かすことのできない芸能です。

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