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武田耕雲斎の墓

ページID:[[open_page_id]] 更新日:2022年8月1日更新 印刷ページ表示

武田耕雲斎の墓の画像

名称

武田耕雲斎の墓(たけだこううんさいのはか)

所在地

水戸市見川2-103

管理者

妙雲寺

年代等

江戸時代

指定区分

市指定

指定年月日

昭29年7月10日

 武田耕雲斎(1804年~1865年、名は正生、号は修理・伊賀、通称彦九郎)は水戸藩譜代の家に生まれ、斉昭の改革に功があり、執政に挙げられた重臣でした。元治元(1864)年、藤田小四郎達のいわゆる天狗党の挙兵に対し、武田耕雲斎ははじめこれに反対しましたが、反対党と幕府のため那珂湊の戦で窮地に陥ると深く同情し、約1000名を率いて上京し朝廷に歎訴しようとしましたがかなわず、敦賀で斬刑に遭いました。

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