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名称 |
武田耕雲斎の墓(たけだこううんさいのはか) |
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所在地 |
水戸市見川2-103 |
管理者 |
妙雲寺 |
年代等 |
江戸時代 |
指定区分 |
市指定 |
指定年月日 |
昭29年7月10日 |
武田耕雲斎(1804年~1865年、名は正生、号は修理・伊賀、通称彦九郎)は水戸藩譜代の家に生まれ、斉昭の改革に功があり、執政に挙げられた重臣でした。元治元(1864)年、藤田小四郎達のいわゆる天狗党の挙兵に対し、武田耕雲斎ははじめこれに反対しましたが、反対党と幕府のため那珂湊の戦で窮地に陥ると深く同情し、約1000名を率いて上京し朝廷に歎訴しようとしましたがかなわず、敦賀で斬刑に遭いました。
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