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近世前期、各藩によって藩校が建設されるようになります。
藩校は、藩が家中の子弟育成のために設けた学校で、儒学を中心に教学が行われました。
18世紀後半頃から、藩政改革に伴って多く建設されるようになりました。
著名な藩校としては、庄内藩校致道館(山形県)、会津藩校日新館(福島県)、水戸藩校弘道館(茨城県)、松代藩校文武学校(長野県)、岡山藩校花畠教場(岡山県)、萩藩校明倫館(山口県)などがあります。
郷校は郷学とも呼ばれ、その性格は藩校の分校的存在、藩による庶民教育機関、庶民の組合的組織による地方学校、などに大別されます。
このうち多くを占めたのは家臣を教育するための、準藩校的な性格のものでした。
著名なものには、岡山藩(岡山県)の閑谷学校、福山藩(広島県)の廉塾、伊勢崎藩(群馬県)の25の郷校、水戸藩(茨城県)の15の郷校があります。
私塾は学者や教育者が、自らの学説の教授のために私的に開設した教育機関です。そのため幕府や藩の方針に規定されない、独自の教育活動ができました。儒学者だけでなく、江戸中期には国学者や蘭学者の私塾も多く開かれています。
著名なものには、広瀬淡窓の咸宜園(大分県)、吉田松陰の松下村塾(山口県)、本居宣長の鈴屋(三重県)、緒方洪庵の適塾(大阪府)、シーボルトの鳴滝塾(長崎県)、伊藤仁斎の古義堂(京都府)、中江藤樹の藤樹書院(滋賀県)、加倉井砂山の日新塾(茨城県)、藤田幽谷の青藍舎(茨城県)などがありました。
私塾は総数1500校もあったとされ、近世日本の教育熱がいかに高かったかをうかがうことができます。
寺子屋は近世から近代初頭にかけて普及した庶民の初等教育機関です。
教育内容は習字、読み・書き・そろばんなどで、入学年齢や在学期間などは地域の実情に合わせて自由でした。
また、寺子屋の優れた点は、文字の読み書きといった基礎的な学力の習得とともに、人格形成を重視する教育が行われていたことが挙げられます。教師が年齢や学習進度を考慮し、子ども個人に合わせた教育内容を行う個別授業が基本でした。
昌平黌は幕府直轄の最高学府です。寛永7年(1630年)、徳川家光が創設させた林家家塾がその原型で、後に建物を増設し、試験制度の確立や学規・職掌を精密なものにするなど、施設・制度の充実が図られました。全国から大勢の遊学の士を集め、各藩校への影響も少なくありませんでした。ここで形成された学問・教育の実践や慣行は近代教育にも影響を与え、ここから文部省・国立博物館・東京大学・筑波大学等が発足するなど、近世から近代移行期の学問・教育の中でも重要な存在でありました。