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農人形について

ページID:0005205 更新日:2022年8月1日更新 印刷ページ表示

 徳川斉昭公が藩主となって発した第一声が「愛民専一」であったように、斉昭公は大規模な農政改革に着手するとともに、農民に対して並々ならぬ関心を寄せました。農人形もその一つです。斉昭公は国の基である農民が、度々の天災にも負けず、日夜汗と泥まみれに働く尊い姿に心うたれ、自ら青銅で作った農夫の像(農人形)を食事のたびに膳にのせ、最初の一箸のご飯を供えて農民の労に感謝したそうです。農人形は、水戸独自の農本主義から生まれた像で、全国にその例を見ないものです。
 近代になって水戸の彫刻師がこの農人形を初めて木に彫り、水戸の代表的な民芸品の一つとなっています。
 かつては、県三の丸庁舎の敷地内にありましたが、第二次世界大戦中、武器弾薬用の金属が不足したため、昭和18(1943)年に撤去されました。現在は、弘道館内と偕楽園下駐車場で見ることができます。

県三の丸庁舎敷地内(旧)の画像
​【県三の丸庁舎敷地内(旧)】

県三の丸庁舎敷地内(現在)の画像
【県三の丸庁舎敷地内(現在)】

偕楽園下駐車場の画像
​【偕楽園下駐車場】

弘道館内の画像
【弘道館内】

農人形の所在地

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