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水戸藩第9代藩主。1829年(文政12年)に水戸藩主となり藩政改革に手腕を発揮しました。
藩の財政再建のために、衣食住すべてに対して質素倹約をすすめたり、紙、たばこなどの産業振興を図ったりしました。また、人材育成のための藩校「弘道館」や、領内の民ととも(偕)に楽しむという意味から名付けられた「偕楽園」を創設しました。
藩主を譲った後も、近海に現れた外国船に備え軍備の充実を図るため、大砲製造を目的とした反射炉を建設しました。
その後、将軍の跡継ぎ問題や日米通商条約の調印をめぐって大老井伊直弼と対立。水戸に永ちっ居を命ぜられ、水戸城中において61歳で没しました。おくり名は烈公。第15代将軍徳川慶喜公は斉昭公の七男です。