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水戸藩9代藩主徳川斉昭公の七男として江戸小石川の水戸藩邸に生まれました(幼名は七郎麿)。しかし、江戸の華美な風俗に染まらせないという父・斉昭公の教育方針により、水戸で育てられ、5歳の時から弘道館で学問を修めました。そして、11歳の時御三卿のひとつである一橋家の養子となりました。
尊皇攘夷の機運が高まり政治の中心が江戸から京都に移るなか、1866年(慶応2年)慶喜公30歳の時、徳川第15代将軍になりました。
英明で天才肌の慶喜公は、さまざまな政治的思惑が交錯するなか、困難を乗り越えて1867年(慶応3年)に大政奉還を行いました。
政治の一線を退いた後は一転して静かな生活を送り、77歳で没しました。