本文
名称 |
紙本墨書 足利氏満感状 |
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所在地 |
水戸市備前町 |
管理者 |
個人蔵 |
年代等 |
南北朝時代 |
指定区分 |
市指定 |
指定年月日 |
平成21年2月6日 |
員数 |
1幅 |
本史料は、『茨城県史料 中世編2』に収載された『水府志料』に収録された文書のうち、宍戸弥四郎宛感状4点のうち1点の原本です。文書に記されている難躰山とは、難台山城(笠間市岩間)のことで、元中5(1388)年5月に落城しますが、常陸南北朝抗争史の最後を飾るにふさわしい激戦が展開されたそうです。家伝によれば、一木家は鎌倉御家人であった四郎兵衛家政が宍戸に住したことにはじまり、この感状の宛所である弥四郎が関東管領から恩賞として武蔵国一木郷(東京都赤坂一の木町)を与えられ、一木氏を称したといわれています。
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