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名称 |
会沢正志斎の墓(あいざわせいしさいのはか) |
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所在地 |
水戸市千波町2367 |
管理者 |
本法寺 |
年代 |
江戸時代 |
指定区分 |
市指定 |
指定年月日 |
昭和29年7月10日 |
会沢正志斎(1782年~1863年)は、名を安(やすし)、字(あざな)を伯民、通称恒蔵(つねぞう)といい、下級武士の家に生まれました。10歳の時、藤田幽谷の弟子となってその学問を深め、史館に入って修史に携わり、のちに総裁となりました。また、斉昭の改革にも重要な役割を果し、青山延宇と共に弘道館の初代総教となりました。彼には『新論』をはじめ多数の著書があり、藩内はもとより、真木和泉守や吉田松陰など、他藩からの遊学者に極めて大きな影響を与え、明治維新の原理の推進者となりました。
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