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加倉井砂山夫妻の墓

ページID:[[open_page_id]] 更新日:2022年8月1日更新 印刷ページ表示

加倉井砂山夫妻の墓の画像

名称

加倉井砂山夫妻の墓
(かくらいさざんふさいのはか)

所在地

水戸市成沢町

管理者

個人

年代等

江戸時代

指定区分

市指定

指定年月日

平成25年2月8日

 加倉井砂山夫妻の墓は、江戸時代後期の教育者、加倉井砂山とその妻宇良子(うらこ)の墓です。
 砂山が主宰していた私塾・日新塾では、習字や読書・作文などの学芸だけでなく、剣術や馬術、軍事訓練などの武芸や医学など幅広い教育が行われました。日新塾へは、水戸藩領内だけでなく、全国から入門者が集まり、藤田小四郎や川崎八右衛門など多彩な門人を輩出しました。
 砂山は、安政2(1855)年に51歳で亡くなると、加倉井家代々の墓に妻と共に葬られましたが、昭和3年春に現在の場所へ完全に移転・整備されました。
 砂山の墓石には、600余字に及ぶ加倉井砂山の功績が刻まれており、加倉井砂山の人物像や、当時の私塾の状況を現在につたえる歴史資料として貴重なものです。

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