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旧小生瀬宝泉寺厨子扉及び収納箱3点

ページID:0118363 更新日:2026年2月10日更新 印刷ページ表示

小生瀬宝泉寺扉の画像 旧小生瀬宝泉寺厨子扉​

小生瀬宝泉寺扉 内箱蓋の画像​ 収納箱 内箱蓋

小生瀬宝泉寺扉 中箱の画像​ 収納箱 中箱

小生瀬宝泉寺扉 外箱蓋の画像  収納箱 外箱蓋​

名称

旧小生瀬宝泉寺厨子扉及び収納箱3点

(きゅうこなませほうせんじずしとびらおよびしゅうのうばこ3てん)

所在地

水戸市加倉井町

管理者

妙徳寺

年代等

戦国時代・江戸時代後期・大正時代

指定区分

市指定

指定年月日

令和8年2月10日

員数

一式

大子町小生瀬に存在した真言宗寺院宝泉寺の厨子の扉として使用されていた扉(旧小生瀬宝泉寺厨子扉)とその収納箱3点(内箱・中箱・外箱)である。
厨子扉は永正元(1503)年に建立された宝泉寺の厨子の右扉であった。宝泉寺は、永正7(1510)年の佐竹氏による那須出兵の際に陣所(じんしょ)として使用されており、そこに着陣した鳥子(とりのこ)江戸氏(水戸城主江戸氏の支流)一族の江戸通賢(みちかた)らが扉の表に墨書を残している。その16年後の大永6(1526)年に再び宝泉寺に着陣した通賢は、かつて書き留めた自らの筆跡と再会し、その感動を表現した歌を扉に追記している。
​宝泉寺は水戸藩の寺院整理政策のもと、天保14(1843)年に廃寺となるものの、墨書きが残る扉は日新塾(にっしんじゅく)主宰・加倉井砂山(かくらいさざん)が引き取り、元治2(1865)年3月に妙徳寺に寄附された。この経緯が収納箱(内箱・中箱)に記されるとともに、内箱の蓋の裏側には扉の墨書に心を動かされた水戸藩関係の学者らが漢詩等を寄せている。
本資料から、歌人としても活躍したことで知られる鳥子江戸氏の戦場における文芸活動の様子を知ることができるとともに、戦場に向かう武士の素直な心情もうかがい知ることができる。また、収納箱の墨書からは、扉を厳重に保管していこうとする当時の人々の姿勢や、「文化財」が後世の人々に与えた影響を感得することができる貴重な資料である。

 

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