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水戸藩と医学

更新日:2022年6月13日更新 印刷ページ表示

水戸といえば黄門様-徳川光圀

奇方西山集の画像

“水戸黄門”で知られる徳川光圀は、実は水戸藩の医学の基礎をつくった人物でもあります。
医学への関心が高く、多くの名医を水戸に呼び、秘伝の漢方を集めた『奇方西山集』を発刊したり、治療院を設置するなど、水戸の医学の基礎を作りました。

民を苦しみから救う-救民妙薬

『救民妙薬』は光圀が藩医の鈴木宗与(穂積甫庵)に命じ、まとめさせた最古の家庭療法の本です。
病に苦しむ貧しい人たちを救うべくつくられたため、誰でもわかる簡単な言葉で書かれ、ほとんどが水戸藩内で採れる薬草を材料にした処方で構成されているのが特徴です。

弘道館

『偕楽園』と『弘道館』を創設した徳川斉昭もまた医学に深い関心を持っていました。
弘道館内には医学館を開設し、さらには薬園(薬草園)も設置して、薬草の栽培から製薬までできるようにしました。
また、当時流行した天然痘に対し、予防接種を広く実施させるなど、きめ細やかな救民政策も行いました。