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染物職人が守る文化、次代へ向かって一歩ずつ

印刷ページ表示を表示する 掲載日:2026年6月1日更新

大川哲さんヘッダー画像

大谷屋染工場 大川 哲さん

水戸駅の南東側に広がる下市エリア。そこにはかつて、染物店が多く集まっていました。

江戸時代初期に造られた用水堀で、下市エリアのシンボルでもある備前堀のすぐそばに構える大谷屋染工場もそのうちの一つで、安政3(1856)年の創業以来、歴史と伝統を今に受け継いでいます。

5代目として大谷屋染工場の看板を背負うのは、大川哲さん。今回は、水戸の地で30年以上にわたり、染物業に勤しんできた職人の姿にスポットを当てます。

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半端なものは出したくない

もともと染物には興味があったので、岐阜で修行をして、その後東京で染色関係の仕事に就いていました。そのまま東京で働くつもりでいたので、その頃は家業を継ごうとは考えていませんでした。
そんな折、実家で働いていた職人さんが退職することになり、それじゃあということで、水戸に戻る決心をしました。

大谷屋染工場で日々生み出される製品は、そのほとんどが手作業によるもの。

昔はね、新築の家の骨組みができたときに、お祝いの意味を込めて上棟式を行っていたんです。そのときに、近所の人に必ず手ぬぐいを配っていて、当時はその受注が多かったです。手ぬぐいだけで毎日1,000本くらいは染めていたんじゃないかな。

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今では、手拭いの受注量は全体の3割弱といったところでしょうか。あとは、シルクスクリーンプリントが6割、水戸黒などが1割くらいです。

問屋さんが減って、個人で注文されるお客様が増えました。手書きのラフスケッチを持ってきて「こんな感じに仕上げて」と注文される方も結構多いですね。
デザインだけはパソコンに頼っていますが、型彫りから仕上げまでのほぼ全てを、私たちが手作業で行っています。

“私たち”というのも、大川さんのすぐ隣には、受注したTシャツの型を黙々と彫る職人の姿がありました。将来、大谷屋染工場の6代目となる、啓太さんです。3年前までサラリーマンとして働いていましたが、今では親子二人三脚で作業を行っています。

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機械生産が主流となっている時代だからこそ、大川さんには手作業に込める強い思いがあります。

「既製品のような美しさを」ということを大切にしています。アナログだからこその味わいを残しつつ、半端なものは世に出したくないという気持ちで常々やっております。

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日々、研究

大川さんが携わる仕事の一つに「水戸黒」と呼ばれるものがあります。
水戸黒とは、江戸時代から伝わる染色技法で、現在は水戸市内にある阿波屋染物本店と大谷屋染工場だけが、その伝統を継承しています。

水戸黒は、藍を下地にし、その上に何回も黒を染めていくことで、青みがかった深い黒になります。当時は、紅花の下地の上に染める、いわゆる赤みがかった黒が主流だったので、その中で水戸黒は特に際立っていたそうです。「水戸公の羽織は千代田城(江戸城)の金屏風によく映える」と評判にもなり、あの徳川光圀公も愛用されていたんだとか。

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当時水戸黒は、一軒の水戸藩御用紺屋である亀屋だけが、製作を許されていたそう。大正時代になると、安価で手早く染められる化学染料が普及したため、丹念な製作が必要とされる水戸黒の技術は途絶えてしまいました。

約60年の時を経て、亀屋最後の当主である12代目・益子栄寿さんが水戸黒を復元することに成功したものの、その後継承したのは染色家の阿部忠吉さんただ一人。そして、阿部さんが若くして急逝されたことにより、復活への道は困難を極めました。

平成20年前後の頃、水戸市からうちに、水戸黒を復活させてほしいという話がありました。でも、私は当初、首を縦に振らなかったんです。本気で水戸黒の試作品を作ろうとすると、時間を研究に回さなければならず、家業に影響が出てしまいますから。

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ただ一方で、“水戸”と名の付く染色技法を、水戸の染物屋である私が途絶えさせてしまうことに心苦しさがありました。なので、復活まで時間はかかるかもしれないけど、まずは挑戦してみることに決めたんです。

こうして大川さんは、水戸黒の復活に向けた第一歩を踏み出しました。

しかし、いざ試作品を作ろうにも、大川さんの手元にあったのは、阿部さんが残した13行の加工手順書だけでした。
そこから、試作品の完成に向け、研究を重ねる日々が続きます。

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まずは藍染めをして、その上にヤシャブシ(お歯黒の木)という木の実を煮出した染料で、黒く染めます。何回も黒で染める作業にも手間がかかりますが、このヤシャブシの実は県北の方でしか大量に採れないので、まずは材料を調達するところから。水戸黒は、染料をつくる段階から大変なんです。

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私自身、まだまだ技術的に確立できたとは思っていないのですが、「水戸黒を絶やさないように」というところは意識しています。
商売としてやっていくにはなかなか難しい部分がありますけど、例えば、地元のお祭りで水戸黒の半纏をまとった人たちが練り歩く、なんてことになったら素敵ですよね。
まだまだ水戸黒の研究を続けていきたいです。

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なくしたらダメな文化

今は簡単にプリントできてしまうので、注染手ぬぐいをつくる工場がどんどん減っています。手間がかかる割に儲からないから、手を引くのはわかるんですけどね。
でも、水戸黒と一緒で、注染手ぬぐいは「なくなってしまったらダメな日本文化」だと思うんです。
それを守りながら、暮らしていけたらいいなと考えています。

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工場に臨む夕暮れ時の備前堀は、大川さんのお気に入り。
窓からその景色を真っすぐ見つめる姿に、職人として、そして水戸で生まれ育った者としての強い思いが重なって見えました。

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