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千波湖と徳川家との関わりとは?偕楽園が千波湖の近くにあるのはなぜ?

更新日:2023年9月28日更新 印刷ページ表示

回答

千波湖に関わった歴史上の人物として、水戸藩第9代藩主の徳川斉昭公が挙げられます。
斉昭公は、弘道館で文武をしっかり修業したあとには心身をゆっくり休めて鋭気を養ってほしいと考え、弘道館と一対の施設として、天保13年に偕楽園を造りました。
偕楽園は千波湖の北西に位置しますが、その理由は、千波湖を一望でき、訪れた人々が景観を楽しめる場所だったからだそうです。
日本三名園である偕楽園。他の兼六園や後楽園は、園内に池がありますが、偕楽園は千波湖を「借景※」として活用したのです。

※借景:周辺の景色を取り込むこと。

【千波湖から眺めることができる偕楽園好文亭】
千波湖からみえる偕楽園好文亭