水戸市を知ろう

水戸市の文化財(ぶんかざい)

水戸市の文化財(ぶんかざい)

 文化財(ぶんかざい)とは、古い建物(たてもの)や美術品(びじゅつひん)、昔からあるお祭りなどのことです。
 ここでは、水戸市にある文化財の一部を紹介(しょうかい)します。

八幡宮本殿(はちまんぐうほんでん)

八幡宮本殿

【国指定(くにしてい) 建造物(けんぞうぶつ)】

 1598(慶長(けいちょう)3)年に建てられた神様が宿る御神体(ごしんたい)が納められている建物です。屋根は入母屋造り(いりもやづくり)※で、杮(こけら)という薄い木の板を瓦(かわら)のように屋根に重ねて葺(ふ)いています。向拝(こうはい)という建物の出入口には赤い柱が4本建っていて、建物全体に日本と中国の建物の両方の特徴(とくちょう)がみられます。

※入母屋造り(いりもやづくり)は屋根の四つの端(はし)の方向に勾配(こうはい)を持たせる造り方です。

旧弘道館(きゅうこうどうかん)

弘道館

【国指定(くにしてい)特別史跡(とくべつしせき)】

 弘道館(こうどうかん)は、水戸藩(みとはん)の第9代藩主(はんしゅ)徳川斉昭(とくがわなりあき)が改革(かいかく)の中心として建(た)てた藩校(はんこう)※です。
 水戸城内の三の丸に正庁(せいちょう)、文館、武館(ぶかん)、医学館(いがくかん)、寄宿寮(きしゅくりょう)、調練場(ちょうれんば)、矢場(やば)、砲術場(ほうじゅつば)などがありました。
 敷地面積(しきちめんせき)は、105,000平方メートルで、全国最大(ぜんこくさいだい)の規模(きぼ)でした。これは、東京ドーム2個分と同じくらいの大きさです。
 弘道館は、1841(天保(てんぽう)12)年から1872(明治5)年まで教育活動を行いました。

※藩校(はんこう)とは、江戸時代に、それぞれの藩(はん)が、その藩に仕(つか)える藩士(はんし)とその子弟(してい)を教育(きょういく)するためにつくった学校です。  

中崎家住宅(なかざきけじゅうたく)

中崎家住宅

【国指定(くにしてい) 建造物(けんぞうぶつ)】

 1688(元禄元 (げんろくがん))年に建てられたと伝えられています。市内には他にもいくつか古民家(こみんか)が残(のこ)っていますが、元禄時代(げんろくじだい)まで遡(さかのぼ)り、その時の姿や形を保っているものは他にありません。

 

常磐公園(ときわこうえん)

常磐公園

【国指定(くにしてい) 名勝(めいしょう)・史跡(しせき)】

 常磐公園は偕楽園(かいらくえん)のことで、水戸藩(みとはん)第9代藩主(はんしゅ)徳川斉昭(とくがわなりあき)が、1842(天保(てんぽう)13)年に開いた庭園(ていえん)です。
 勉強の休息(きゅうそく)を目的としてつくられ、園内には学問(がくもん)の木である梅の木がうえられています。好文亭(こうぶんてい)は三階建になっていて、一番上の階(かい)である楽寿楼(らくじゅろう)に上がると広々とした景色が見られ、園内の梅林と、園外の千波湖(せんばこ)の美しい風景が広がります。


 

吉田古墳(よしだこふん)

【国指定(くにしてい) 史跡(しせき)】                                            吉田古墳

 吉田古墳は、吉田の台地上にある古墳です。墳丘(ふんきゅう)の中は、横穴式石室(よこあなしきせきしつ)になっています。大正3年4月に発掘(はっくつ)され、銀の耳飾り(イヤリング)や鉄で作られた鏃(やじり)や刀(かたな)・勾玉(まがたま)などが発見され、石室奥の壁には靭(ゆぎ)・刀子(とうす)・鉾(ほこ)※などの武具の壁画(へきが)があるめずらしい古墳です。また、近年の調査(ちょうさ)により、墳丘は八角形墳であったことが分かりました。

※靭(ゆぎ)は弓矢の矢を入れておく筒、刀子はナイフ、鉾は両刃(りょうば)がついた長い武器のこと。   

大串貝塚(おおくしかいづか)

大串のささらばやし

【国指定(くにしてい) 史跡(しせき)】

 大串貝塚は、奈良時代前期(ならじだいぜんき)に編集(へんしゅう)された『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』に書かれており、これにまつわる巨人伝説(きょじんでんせつ)とともに有名です。貝層(かいそう)が作られた時代は、縄文時代(じょうもんじだい)前期(ぜんき)の花積下層式期(はなづみかそうしきき)です。県内の同じ時代の貝塚は、常陸太田市築崎貝塚(ひたちおおたしつきざきかいづか)・常陸太田市森東貝塚(もりひがしかいづか)・小美玉市野中貝塚(おみたましのなかかいづか)が有名ですが、大串貝塚の規模(きぼ)・遺物量(いぶつりょう)はこれらの遺跡(いせき)をはるかに超(こ)えるものです。

※「常陸国風土記」は、現在(げんざい)の茨城県の大部分が常陸国と呼ばれていた、奈良時代の初(はじ)め頃の風土(ふうど)や産物(さんぶつ)、伝統(でんとう)などを地方ごとに記した書物(しょもつ)。  

台渡里官台衙遺跡群(台渡里官衙遺跡・台渡里廃寺跡)(だいわたりかんがいせきぐん)(だいわたりかんがいせき・だいわたりはいじあと)

台渡里官衙遺跡群

【国指定(くにしてい)・県指定(けんしてい) 史跡(しせき)】

 那珂川(なかがわ)を見渡せる高さ30mくらいの見晴(みは)らしのよいところにある、奈良(なら)・平安時代の役所跡(やくしょあと)です。北から長者山地区(ちょうじゃやまちく)、観音堂山地区(かんのんどうやまちく)、南方地区(なんぽうちく)の3つに分けられます。 観音堂山地区と南方地区には、お寺がありました。そのお寺は、7世紀後半(こうはん)から末頃にたてられたもので、9世紀後半に火事でなくなってしまいました。長者山地区は、まわりの地域(ちいき)からとれたお米を貯(たくわ)える倉(正倉院(しょうそういん))がありました。広さは東西およそ300m、南北およそ200mになり、そのなかに屋根の前面に瓦が葺(ふ)かれた倉がならんでいたことが分かっています。 

大串(おおくし)のささらばやし

大串のささらばやし

【国選択(くにせんたく)・県指定(けんしてい) 無形民俗文化財(むけいみんぞくぶんかざい)】

 江戸時代中ごろ、大串稲荷神社(おおくしいなりじんじゃ)の祭礼(さいれい)に、氏子(うじこ)たちが無病(むびょう)と豊作(ほうさく)などを願って、奉納(ほうのう)したのが起こりとされています。
 竹竿(たけざお)の先につけた獅子頭(ししがしら)を舞(ま)わせる棒(ぼう)ささらです。

大野のみろくばやし

大野のみろくばやし

【国選択(くにせんたく)・県指定(けんしてい) 無形民俗文化財(むけいみんぞくぶんかざい)】

 みろくの起源(きげん)は、水戸藩(みとはん)の第2代藩主(はんしゅ)徳川光圀(とくがわみつくに)が領内(りょうない)をめぐった時に、極楽橋(ごくらくばし)の下で、三体の人形を発見し、下大野の人の手にわたったことだと伝えられています。
 竹竿(たけざお)の先につけたみろく人形を舞(ま)わせ、豊作(ほうさく)を祈(いの)ります。

旧水戸城薬医門(きゅうみとじょうやくいもん)

旧水戸城薬医門

【県指定(けんしてい) 建造物(けんぞうぶつ)】

 この門は、旧水戸城の本丸から二の丸の境(さかい)にあった門です。
 今は、県立水戸第一高等学校(けんりつみとだいいちこうとうがっこう)の敷地内(しきちない)にあります。
 建物の姿や特徴(とくちょう)から、安土桃山時代(あづちももやまじだい)の末ごろに建(た)てられたことがわかります。

笠原水道(かさはらすいどう)

笠原水道

【県指定(けんしてい) 史跡(しせき)】

 水戸の城下町(じょうかまち)は、水の利用が不便(ふべん)で、下町の住民は特に飲み水に困っていました。
 そのため、水戸藩(みとはん)の第2代藩主(はんしゅ)徳川光圀(とくがわみつくに)が1662(寛文(かんぶん)2)年に、水道の設置(せっち)を命(めい)じ、笠原(かさはら)が水源地(すいげんち)※となりました。

※水源地・・・水が流れ出るもととなるところ。

安神車(あんじんしゃ)

安神車

【市指定(ししてい) 工芸品(こうげいひん)】

 水戸藩(みとはん)の第9代藩主(はんしゅ)徳川斉昭(とくがわなりあき)が命(めい)じてつくらせた戦車(せんしゃ)です。中に人が入り、小銃(しょうじゅう)がうてるようになっています。これを車にのせて、牛にひかせていました。

吉田神社の秋季祭礼(よしだじんじゃのしゅうきさいれい)

大野のみろくばやし

【市指定(ししてい) 無形民俗文化財(むけいみんぞくぶんかざい)】

 吉田神社の秋季祭礼は、毎年10月15日に近い金・土・日曜日の3日間にわたって行われる祭礼(さいれい)です。1日目が例大祭(れいたいさい)の神事(しんじ)と夜祭(よまつり)、2日目と3日目が神体(しんたい)を神輿(みこし)に乗せ、氏子(うじこ)※町内をまわり神社に戻る神幸祭(じんこうさい)・還幸祭(かんこうさい)です。神幸行列には7基の山車(だし)や「台町のささら」が加わり、水戸下市の人々が待ち望む賑(にぎ)わいのある秋の祭礼です。

※氏子(うじこ)とは、地元(じもと)で神社を大切に守っている人たち

義公生誕の地(ぎこうせいたんのち)

義公生誕の地

【市指定(ししてい) 史跡(しせき)】

 水戸藩の第2代藩主(はんしゅ)徳川光圀(とくがわみつくに)は、1628(寛永(かんえい)5)年に、この地にあった重臣(じゅうしん)三木仁兵衛之次(みきにへえゆきつぐ)の屋敷(やしき)で生まれ、5歳(さい)まで過ごしました。

日新塾跡(にっしんじゅくあと)

大野のみろくばやし

【市指定(ししてい) 史跡(しせき)】

 日新塾は江戸時代後期、成沢村庄屋(なるさわむらしょうや)の加倉井砂山(かくらいさざん)が中心となって教えていた私塾(しじゅく)※です。読書、算数、歴史、理科、乗馬、砲術(ほうじゅつ)、練兵(れんぺい)、剣術(けんじゅつ)、詩文(しぶん)など文武両道(ぶんぶりょうどう)の教育が行われ、全国から入門者や遊学(ゆうがく)の人々が集りました。

※私塾とは、個人(こじん)が行っていた塾(じゅく)。

六地蔵寺のシダレザクラ(ろくじぞうじのしだれざくら)

六地蔵寺のシダレザクラ

【市指定(ししてい) 天然記念物(てんねんきねんぶつ)】 

 六地蔵寺の境内(けいだい)の中央にあり、開花の時期になると多くの人が訪(おとず)れます。
 樹齢(じゅれい)は約180年です。

世界遺産(せかいいさん)を目指す学問の府(ふ)・水戸

弘道館(こうどうかん)・偕楽園(かいらくえん)

弘道館
弘道館
(1841年開設(かいせつ))

偕楽園
偕楽園
(1842年開設(かいせつ))

 江戸時代は教育がとても盛んでした。
 当時、日本を訪れた外国人は、日本人の教育水準(きょういくすいじゅん)の高さにおどろいています。
 その中でも、藩校(はんこう)・弘道館、学問の休養(きゅうよう)の場・偕楽園、彰考館(しょうこうかん)、日新塾(にっしんじゅく)などの教育施設(きょういくしせつ)は、江戸時代の教育をリードした水戸藩(みとはん)の学問・教育のすばらしさを伝える大切な文化財(ぶんかざい)です。
 
 今、水戸市では、水戸の先人たちの生き方に学ぶ教育(水戸教学(みときょうがく))を行うとともに、弘道館と偕楽園、足利学校(あしかががっこう)(栃木県足利市(とちぎけんあしかがし))、閑谷学校(しずたにがっこう)(岡山県備前市(おかやまけんびぜんし)) 、咸宜園(かんぎえん)(大分県日田市(おおいたけんひたし))など、世界に誇(ほこ)る、江戸時代の代表的な学校をまとめて、世界遺産(せかいいさん)として登録(とうろく)されるよう、活動を進めています。

※平成27年4月に「近世日本の教育遺産群(きんせいにほんのきょういくいさんぐん)―学ぶ心・礼節(れいせつ)の本源(ほんげん)―」が日本遺産(にほんいさん)に認定され、弘道館、偕楽園、日新塾跡などが、それに関わる文化財となっています。 

水戸郷土(きょうど)かるた

○ 水戸郷土かるた

水戸郷土かるた

 かるたで遊びながら、市内の歴史(れきし)や自然、文化遺産(ぶんかいさん)を学べる水戸郷土(きょうど)かるたを販売(はんばい)しています。
 市では、かるた大会も実施(じっし)しています。
 毎年1月に、学区子ども会ごとに予選(よせん)大会を行い、勝ち上がった2チームが学区代表として2月に行われる水戸郷土かるた中央大会に出場します。

お問い合わせ先

水戸市役所

電話番号:029-224-1111 /
〒310-8610 茨城県水戸市中央1-4-1
業務時間:午前8時30分~午後5時15分 /休業日:土・日曜日、祝日