みとの水脈(19)橘経雄(出版人)

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最終更新日:2013年8月27日 ページID:012756

戦後出版界の生き証人 橘 経雄(たちばなつねお)

本の画像 評論家・立花隆の父であり、出版界の発展のために尽くし、本の専門紙「週刊読書人」の創刊に参加した橘経雄は、明治43年2月2日に水戸に生まれました。早稲田大学文学部卒業後、昭和9年に、長崎の活水(かっすい)女学院というミッション系の学校に、国語と漢文の教師として赴任しました。この頃、文学青年でもあった経雄は、小説を書いていたともいいます。その後、昭和16年に北京に渡り、北京市立高級中学校の教師を勤めました。

 

 終戦後水戸に引上げた後、妻子を残して上京し、昭和24年6月に全国出版協会から創刊された「全国出版新聞」という業界紙の編集長となりました。編集長といってもほとんど1人で書いていて、編集長兼編集者兼記者のようなものでした。この頃の出版界は、政府からの紙の割当てをめぐり分裂状態にありましたが、「全国出版新聞」は出版界の業界ネタを幅広くフォローしていて、現在においても当時の出版界の事情がわかる貴重な資料となっています。その後「全国出版新聞」は、読書人のためのメディアを目指すようになり、昭和29年「読書タイムズ」と改題し、出版社が大同団結して日本書籍出版協会が創立されると、全国出版協会から譲渡され、号数を引継ぐ形で昭和33年「週刊読書人」となりました。「週刊読書人」は、本の専門紙として現在も続いています。

 

 立花隆は、膨大な量の本を所有していることで知られていますが、中学生の時の作文「僕の読書を顧みる」の中で「まず僕が読書を好きになったのは、環境の影響が大きいと思う。僕の父も母も文科系の人で文学を好んでいるし、それに加えて父の仕事が出版関係なので、自然に僕も本に多く接するようになった。」と読書体験のきっかけが父経雄であったことを書いています。

 

 経雄は「読書タイムズ」まで編集長を務め、「週刊読書人」になってからは営業担当となりました。その後は専務取締役を最後に平成6年に退任し、平成17年9月に95歳で亡くなりました。

 

 

(東部図書館 司書 松本崇)


参考図書:『ふるさと随筆出版人人國記』全国出版協会出版部 橘 経雄編


(補足)この記事は平成25年「広報みと」8月15日号に掲載したものです。

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