みとの水脈(18)永井道明(体操指導者)

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最終更新日:2013年5月15日 ページID:012404

日本の学校体操の父 永井道明(ながいみちあき)
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 「体育」は、今では学校教育の教科として、主要な科目の一つになっています。ところが、明治初期の水戸市下市小学校の体育といえば、鬼ごっこ、走りくらべ、竹馬、凧(たこ)揚げ、ドッジボール、相撲、木登り、竹登り、乗馬、水泳などの自然体育であったと、永井道明は回想しています。これは、体育というよりは、子どもの遊びそのものです。中でも、道明は竹登りが得意で、後年、アメリカなどで登攀(とはん)の競技に参加した際も、その経験が生きたというのです。
 永井道明は、明治元年12月、水戸市下市蔵前に生まれました。道明の曾祖母おりんは藤田幽谷の妹にあたり、その子つまり道明の祖父 政介は幽谷の甥であり、幽谷の子 東湖とは、いとこ同士ということになります。また吉田松陰が水戸に滞在したのは、政介の宅でした。

 道明は幼い頃は虚弱でしたが、15歳の頃には人並み以上の体力になり、成人してか らは兄弟姉妹10人の中で最も丈夫になり、体操の指導者となったのでした。それは食 べ物のえり好みをしないことや、毎日の中 学校通学だけでなく、中学での体育の授業 のおかげもあったに違いありません。道明 は明治15年茨城中学に入り、体育は星野久成の教えを受け、徒手体操から器具体操、 器械体操、野球まで、さまざまな体育を学 び、優秀な成績をあげています。

 その後、茨城尋常師範学校本科から高等師範学校に進み、教育者の道を歩みます。 明治29年には奈良県立畝傍(うねび)中学校長を、33年には兵庫県立姫路中学校長を務め、体操校長として名を馳(は)せたのでした。

 明治38年には、文部省から体育研究のために3年間の欧米留学を命じられ、アメリカ、イギリス、スウェーデン、デンマーク、ドイツの各国を訪れ、明治42年に帰国。その後は学校体操の統一に取組み、大正2年1月、「学校体操教授要目」(文部省訓令第一号)にその成果が実ったのでした。特に、明治維新後、迷走を続けていた柔道、剣道を要目に取入れたのは道明の英断によるものでした。

(坂部豪)

参考図書:『遺稿永井道明自叙伝』大空社、永井道明著


(補足)この記事は平成25年「広報みと」5月15日号に掲載したものです。

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