みとの水脈(16)清水橘村(詩人)

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最終更新日:2011年10月15日 ページID:008304

老いてなお詩心衰えず 清水橘村(しみずきっそん)
参考図書1:『詩人 清水橘村』、参考図書2:『鴉の蒔いた草花』

清水橘村(本名 孝教)は、明治12年水戸市根積町(現在の柳町1丁目、本町1丁目)に、清水孝義の長男として生まれました。父は明治維新後、茨城県に勤め、明治19年に一家挙げて現在の小美玉市の橘村(たちばなむら)に移住します。その地で清水橘村は小学校に通いますが、家が貧しく、わずか1年で終わりました。橘村は幅広い教養を身に付けていましたが、主に図書館などでの独学によるものだったようです。

明治30年、叔父の紹介で水戸出身の高瀬真卿が創設し、現在の渋谷にあった東京感化院に雑役係として勤めます。高瀬はジャーナリストであるとともに、刀剣研究家としても著名で、橘村も高瀬から学んで、後に刀剣の鑑定を行っています。翌31年、橘村は少年園発行の雑誌『文庫』に詩を投稿し、その力を認められました。32年には、雑誌『桜州青年』の記者となり、感化院では正式に書記となります。その年の8月、第一詩集『夏枯草』を自ら装幀し出版。12月、同じ茨城出身の横瀬夜雨の第一詩集『夕月』の出版に際には、挿絵をつけ、印刷所を紹介するなど協力をし、その後も交流が続きました。橘村自身も詩や童話を盛んに発表する一方で、明治44年には『刀剣全書』を出版し、活躍の場をさらに広げてゆきます。

しかし、大正8年の長男の死と人相学の大家桜井大路との出会いをきっかけに、当時勤めていた時事新報社を辞め、高木乗の名で運命学の研究を始めます。人相、手相、家相、指紋、四柱推命など占法全般を研究し、大正12年6月には運命学の書『現代三世相』を出版します。名声は日々高まり、野口雨情や岩波茂雄が訪ねてきました。昭和5年、橘村は命理学会を創立し主宰となり、四柱推命を基本とした命理学の普及や刀剣鑑定が活動の中心となりました。

ところが、昭和25年72歳にして、再び詩を作り始め、昭和29年には『社会詩集 鴉の蒔いた草花』を出版。その後も詩作を続け、昭和34年まで作品を発表し続けたのでした。

(見和図書館 司書 坂部豪)
参考図書:『詩人 清水橘村』小野孝尚、『社会詩集 鴉の蒔いた草花』シイヴアン社

(補足)この記事は、「広報みと」平成23年10月15日号に掲載したものです。

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