みとの水脈(13) 塩沢昌貞(経済学者)

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最終更新日:2011年5月15日 ページID:008301

大隈重信の知恵袋 塩沢昌貞(しおざわまささだ)

参考図書:『エピソード 稲門の群像』

塩沢昌貞は明治3年10月、関昌恒の次男として水戸に生まれ、後に塩沢元孝の養子となりました。長じて、『大日本史』を完成させた栗田寛の塾に学び「治国平天下」の思想を培い、政治・経済の学問を志し、東京専門学校英語政治科に入学しました。

東京専門学校は明治15年大隈重信らによって設立され、明治35年に早稲田大学となります。塩沢は明治24年、3年の学年試験で平均91・85点を取り首席となる優秀な成績をあげています。特に語学に優れ、「租税論」の試験の英語の答案を担当講師の家永豊吉がジョンズ・ホプキンス大学のイリー教授に送ったところ、英文に熟練し、かつ周到な答であると激賞されたといいます。これがきっかけで、塩沢は、東京専門学校卒業後の明治29年、アメリカに留学。イリー教授のもとで学び、紀元前の古代から鎌倉幕府までの日本の社会経済組織と諸制度についての論文で、博士号の学位をとりました。その後ドイツのハルレ及びベルリン大学に転じ、明治35年に帰国した後、母校早稲田大学で経済学を教えました。

塩沢は、社会政策学会などのメンバーとして活躍するかたわら、大正10年から12年に、早稲田大学生え抜きの第4代学長(後に校規改正により、大隈重信に続く早稲田大学第2代総長)を務めています。一方、中等教育検定試験委員、経済調査会委員などを歴任し、大正13年には、国際的な平和運動の団体であった国際連盟協会国際会議の日本代表も務めています。

塩沢の学問は、学位論文に見られるとおり、幅広い歴史的教養に基づくものです。大隈晩年の東西文明の調和に関する研究にあたっては、塩沢自らが東西文明それぞれの助言者を選び、週1回の研究会を開催しました。大隈は研究会の時は全ての来客を断り、少々体調が悪くても研究会に参加したといいます。それは大隈重信の、塩沢への厚い信頼の表れといえるでしょう。

(見和図書館 司書 坂部豪)

参考図書:『エピソード 稲門の群像』早稲田大学出版部

(補足)この記事は、「広報みと」5月15日号に掲載したものです。

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