みとの水脈(12) 高野茂義(剣道家)

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最終更新日:2011年4月15日 ページID:008300

剛勇の剣轟く 高野茂義(たかのしげよし)

参考図書:『剣道一路』 高野茂義

「東の高野佐三郎、西の内藤高治」と称された内藤高治をはじめとして、門奈正など、明治以降、水戸は数多くの剣道家を輩出してきました。高野茂義もその一人です。

昭和4年5月、皇居内で剣道界を代表する指定選士による試合が催され、決勝は満州鉄道剣道師範の高野茂義と朝鮮総督府警務局師範の持田盛二の対戦となりました。

まず、両者正眼の構えからにらみ合うこと約2分、高野が左上段に振りかぶって面を打ち込むが届かず。両者剣をあわせて離れる瞬間、持田の突きが咽元に。高野はこれをかわし、再度面を打ち込む。持田はそれを受け止め、次の一瞬をとらえて逆に胴を決め一本。
続いて、また高野が上段で肉迫する。持田も突きを狙う。高野が面、小手と繰り出す。さらなる高野の踏み込みざまに持田の左小手が決まり、持田の勝利。

高野は前日の予選で負った脚の傷をおしての出場でしたが、後に、「天運われに組みせず」と語っています。

高野茂義は明治10年1月2日、現在の水戸市千波に生まれました。父は北辰一刀流の使い手で水戸藩剣道指南役の千種甲午郎茂春。同じ小学校に学んだ一歳上の仲間に、後の横綱常陸山がいます。14歳で父を亡くした茂義は、東武館で剣の腕をみがき、若くして東京に出ました。その後、浦和明信館道場の高野佐三郎のもとで修業を重ね、実子二人を措いてその養子となり、21歳で小野派一刀流を継ぎました。

大正3年、満鉄の剣道教師を紹介してほしいという父佐三郎への要請に自ら応えて、2年の約束で満州に渡り、大連を拠点にして満州各地で剣道の普及と強化に努めました。満州滞在は30年余の長きに渡り、帰国は昭和20年の敗戦後。その後は故郷水戸で余生を送り、後進の育成に力を尽くすなど、まさに剣道一筋の道を歩んだのでした。

(見和図書館 司書 坂部豪)

参考図書:『剣道一路』高野茂義

(補足)この記事は、「広報みと」平成23年4月15日号に掲載したものです。

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