みとの水脈(8) 照範上人(成田山新勝寺中興第一世)

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最終更新日:2009年12月1日 ページID:005789

成田山新勝寺隆盛の礎を築いた 照範上人

参考図書:『照範上人と団十郎』

成田山新勝寺は、元禄16年(1703)に初めて、成田から江戸深川永代寺境内の深川八幡宮社内に出開帳と称して御本尊を出張させてお披露目し、その盛名をさらに高めました。

この江戸出開帳を実施したのが、水戸出身の成田山新勝寺中興第一世の照範上人です。上人は延宝3年(1675)12歳の時に下総国香取郡笹本の新善光寺で得度し、同じ香取郡磯部の医王院住職を経て、元禄13年(1700)9月に新勝寺の住職となり、成田山新勝寺の現在の隆盛の元となるさまざまな改革を行いました。

『中興照範記』によれば、上人は「性は怜悧にして機鋒当るべからず」と評されるほど頭脳明晰で、記憶力は抜群。教えられた経文をたちまちのうちに暗唱したといいます。また、「当寺中興和尚、諱は照範、字は空順。常州水戸の産なり。いまだかつてその氏族を知らず、師に問うもあえて答えず、おのおの思へらく、貴族の苗裔ならんか」とも記されています。貴族の苗裔とは高貴な人の血を引いているということです。そこから、徳川光圀のご落胤であるという説が生まれました。

『照範上人と団十郎』は光圀ご落胤説に基づいた小説ですが、一方で歌舞伎俳優の初代市川団十郎と上人との深い関わりを描いています。子宝に恵まれなかった団十郎は、故郷下総国の成田山新勝寺を信仰することで、一子九蔵(二代目団十郎)を授かりました。そこで、舞台で成田山本尊の不動明王を自ら演じ、ご利益を宣伝したのでした。特に、元禄10年5月に息子の九蔵と演じた「兵根元曽我」は大当たりを取り、江戸の成田山信者は舞台に賽銭を投げ、「成田屋」と声をかけたということです。メディアを使ったPRは、江戸の昔にもあったのでした。

(中央図書館司書 坂部豪)

参考図書:『照範上人と団十郎』宗谷真爾著 崙書房

(補足)この記事は、「広報みと」平成21年12月1日号に掲載したものです。

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