みとの水脈(7) 小野秀夫(日本野球連盟理事)

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最終更新日:2009年11月1日 ページID:005788

ミスターをスカウトした男 小野秀夫

参考図書:『私と人、政治、野球』

昭和20年10月13日、敗戦の日からわずか2か月後、水戸商業学校(現在の水戸商業高校)と水戸中学(現在の水戸一高)との対校試合がありました。この試合で水戸商のキャッチャーを務めた小野秀夫は、翌年は本来のセカンドを守り、昭和22年には先輩の砂押邦信を追って立教大学に入学。野球部に入り活躍しました。

小野秀夫は、昭和4年11月7日、水戸市本町に生まれました。立教大学を卒業後は、富士製鉄(現在の新日鉄)室蘭に入社。富士鉄野球部マネジャーを経て、昭和34年から36年に監督を務めています。マネジャー時代の昭和28年夏には、全国高校野球選手権大会の地方予選で佐倉一高の長嶋茂雄が超特大のホームランを打ったという話を報知新聞の記者から聞きつけ、千葉県臼井町を訪ね、父親の利さんを説得して、富士鉄室蘭への入社の約束を取り付けました。しかし、会社の方針が変わり、高卒の選手は地元北海道から採用することになったため、長嶋茂雄の北海道行きは実現しませんでした。そこでかわりに、立教大学の監督に就任していた砂押邦信に紹介したことで、立教大学の長嶋茂雄が誕生しました。砂押監督の猛練習が実を結び、長嶋茂雄は神宮のヒーローとなり、やがてはミスタープロ野球と呼ばれるまでになったのです。

その後、小野秀夫は政治の世界に転身。昭和46年から北海道議会議員を6期も務め、北海道発展のために尽くしました。また、日本野球連盟理事として、プロ野球を退団した選手の社会人チームへの受入体制を作り、プロとアマの交流にも努めました。

平成13年10月31日、小野秀夫は71歳で亡くなりました。野球を愛し、野球に祝福された生涯でした。

さて、平成21年11月14日の土曜日、水戸商と水戸一高との戦後60回目となる定期戦が堀原の県営球場で行われます。水戸の野球の伝統に、新たな1ページが加わることでしょう。

(中央図書館司書 坂部豪)

参考図書:『私と人、政治、野球』小野秀夫著 太陽

(補足)この記事は、「広報みと」平成21年11月1日号に掲載したものです。

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