みとの水脈(5) 川又克二(実業家)

印刷

最終更新日:2009年9月1日 ページID:005786

ブルーバード、セドリック、フェアレディの名付け親 川又克二

参考図書:『私の履歴書 昭和の経営者群像1』

フォードや日産などの日米の自動車産業の盛衰を描いたハルバースタムの『覇者の驕おごり』を読むと、自動車産業の抱えている問題は今に始まったことではなく、一筋縄ではいかないと感じられます。この『覇者の驕り』で詳細に描かれているのが、戦後の日産自動車の再建に力を尽くした一人、水戸出身の川又克二でした。

川又克二は明治38年3月1日に上大野村大字吉沼(現在の水戸市吉沼町)に兄と姉3人の5人兄弟の末っ子として生まれました。克二9歳の時に、一家は上京して、東京に生活の場を求めます。

克二は東京商科大(現在の一橋大学)を昭和4年に卒業。日本興業銀行に入り、終戦後広島支店長を務めたあと、昭和22年に日産重工業(日産自動車から商号変更し、後に再び日産自動車)に財務担当として入り、財務だけでなく労働争議処理にも力を発揮しました。

その後、昭和32年から昭和48年まで社長を務める一方、昭和42年には自動車工業会の初代会長に就任し、完成乗用車の輸入自由化、エンジン自由化、資本完全自由化の三つの貿易自由化の難局に立ち向かったのでした。この間、日産はプリンス自動車を合併しながら大きくなっていき、国内自動車メーカーとしては、トヨタに次ぐ地位を獲得していきました。

克二は社長として、ニッサンの新しい車の名前、ブルーバード、セドリック、フェアレディを命名しました。ブルーバードはメーテルリンクの童話『青い鳥』から希望の青い鳥として世界に羽ばたいてくれることを願って、セドリックは『小公子』の主人公の名前から、フェアレディはアメリカで克二が見た舞台の『マイ・フェアレディ』の題名からとったものでした。

水戸の祖先の墓参りを忘れることのなかった川又克二が亡くなったのは、昭和61年3月29日、81歳でした。

(中央図書館司書 坂部豪)

参考図書:『私の履歴書 昭和の経営者群像1』日本経済新聞社

(補足)この記事は、「広報みと」平成21年9月1日号に掲載したものです。

関連リンク

広報みとのページへ

添付ファイルのダウンロード

PDFファイルの閲覧には、Adobe Reader(無料)が必要です。

お問い合わせ先

みとの魅力発信課
電話番号:029-232-9107 /ファクス:029-224-5188

〒310-8610 茨城県水戸市中央1-4-1
業務時間:午前8時30分から午後5時15分まで /休業日:土・日曜日、祝日