みとの水脈(4) 半田孝海(善光寺大勧進名誉住職)

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最終更新日:2009年8月1日 ページID:005785

平和を願い続けた 半田孝海

参考図書:『反核平和運動に捧げた半生 半田孝海の生涯』

先日、天台宗のトップである半田孝淳座主が高野山真言宗総本山金剛峯寺を公式訪問し、千二百年で初めての握手をかわしたことが報道されました。この半田孝淳座主の父である半田孝海師は、長野県の仏教界にとどまらず、国内の平和運動で長く活動しました。

半田孝海は明治19年6月28日、父斉藤海太郎と母たまの次男として生まれました。9歳の時に信州別所温泉の常楽寺住職であった叔父の半田義海の養子となり、大正6年に31歳で常楽寺を継ぎました。住職となった孝海は、婦人の地位向上をめざした信州婦人夏期大学や小県郡青年団幹部講習会などの会場に常楽寺を提供し、「寺院の社会への開放」を試みました。

昭和20年4月、孝海は59歳で、長野善光寺大勧進の副住職(後に名誉住職)となり、昭和22年には長野県仏教会長に就任しました。孝海は仏教会長として、平和運動に挺身。第9次中国人俘虜殉難者遺骨送還の際には、県日中友好協会長としても国の友好に励み、また、原水爆禁止日本協議会の代表委員となって広島における世界大会で議長を務めるなど、円満な人格と同時に鋭い時代感覚をもって行動し、昭和49年9月17日、88歳で亡くなりました。

長男である半田孝淳師も、父の教えに基づいて国際的な平和運動に積極的に参画。ヨーロッパで開催される「世界宗教者平和の祈り」にも、毎年出席していました。平成17年にフランスのリヨンで行われた第19回大会では、日本人として初めて東の代表に選ばれ、ファイナルセレモニーで原水爆禁止を訴えました。

父の平和への願いは息子に引継がれ、今も生き続けているのです。

(中央図書館司書 坂部豪)

参考図書:『反核平和運動に捧げた半生 半田孝海の生涯』冨田降順著 上田小県近現代史研究会

(補足)この記事は、「広報みと」平成21年8月1日号に掲載したものです。

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