みとの水脈(3) 深作欣二(映画監督)
映画の光を求めて 深作欣二

日本を代表する映画人の一人、深作欣二監督の代表作といえば、原爆投下後の広島の街を舞台にした「仁義なき戦い」シリーズでしょうか。そのほかにも、数々の傑作を残しています。「軍旗はためく下に」「蒲田行進曲」「忠臣蔵外伝 四谷怪談」、テレビドキュメンタリー「もの食う人びと」等々。
深作監督は昭和5年7月3日、緑岡村千波(現在の千波町)生まれ。父雄太郎は日露戦争に出征後、茨城県の農業技師を長く務め、退職後も地元からの依頼で緑岡村の村長を務めるほどの名望家でした。兄哲太郎も茨城県の林業試験場に勤めていました。
監督は昭和20年太平洋戦争終戦の時には、水戸中学3年生(後に新制水戸一高に編入)で、勝田の兵器工場へ勤労動員で通っていましたが、アメリカ軍の艦砲射撃を受け、20余人の工員が亡くなる事態に遭遇しました。遺体を焼き場まで運んだという体験を、「水戸市政だより」(昭和54年1月1日号)で語っています。
その後、戦後の混乱の中で見た映画がきっかけで、日本大学芸術学部映画科に入学。卒業後は東映に入社。31歳で監督デビューし、「仁義なき戦い」を撮ったのは43歳のときでした。作家の立松和平は『映画主義者 深作欣二』の中で、次のように言っています。「深作の人生には真実の川とでも呼びたいような、途切れない一筋の光が通っている。それは映画の光なのである」と。
監督の撮影した映画はSF映画から時代劇まで、あるいは喜劇と実に多岐にわたっています。そこにはあふれんばかりの映画への好奇心がありました。そして、その好奇心は息子へと受け継がれたのです。「バトル・ロワイアル」の続編、「バトル・ロワイアル2」の撮影開始直後の平成15年1月12日、深作監督は死去しましたが、作品は息子の深作健太監督の手によって完成されました。
(中央図書館司書 坂部豪)
参考図書:『映画主義者 深作欣二』立松和平著 文春ネスコ
(補足)この記事は、「広報みと」平成21年7月1日号に掲載したものです。
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