令和3年度水戸市埋蔵文化財センター企画展「悠久の水戸史 遺跡に刻まれた人と水の歴史」

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最終更新日:2021年10月16日 ページID:024676

「水戸」という地名は、那珂川と千波湖の間に突き出した上市台地の先端部を、「水の出入り口」という意味で「みと」と呼んだことが由来とされています。

水運が交易の中心であった時代、水戸は交通の要衝であり、まさしく「水の都」と呼ぶべき土地でした。
水戸の誕生を語るうえで欠かせない水は、かつて水戸に暮らした私たちの祖先たちにとっても、現代を生きる私たちにとっても、生きるための糧として、そして時には、生活を揺るがす脅威として、身近な存在であることに変わりありません。

本企画展では、水戸市内における遺跡の調査成果から、先人たちが支配し難い自然の一部である「水」を、いかに追い求め、利用し、時に抗い、そして手中に収めようとしたかを紹介します。
さらに、近年注目されている水中の遺跡にもスポットを当てます。

期間

令和3年10月16日(土曜日)から令和4年2月20日(日曜日)まで

場所

埋蔵文化財センター縄文くらしの四季館(水戸市塩崎町1064-1)

料金

無料

主催

水戸市教育委員会

展示内容

水の都、水戸 ―水が作った水戸の大地―

水戸市域の地形・地質とその形成過程について、水との関わりという観点から概説します。

展示資料等

水戸市周辺赤色立体図、水戸市周辺地形断面模式図

水を追う ―縄文時代:圷遺跡―

縄文時代前期頃にピークを迎えた、地球規模の温暖化等による海水準の上昇(縄文海進)は徐々に収まり、縄文時代中期から後期にかけては海や川の汀線は低くなっていきました。「圷遺跡」では、縄文時代の集落跡が桜川の汀線の後退を追うように移動していく様子が見られます。

展示資料等

圷遺跡第3・4・18地点出土資料(土器・石器)ほか

水と戦う ―弥生~奈良・平安時代:柳河町遺跡―

弥生時代から奈良・平安時代にかけて那珂川のほとりに営まれた集落跡である「柳河町遺跡」では、住居跡が自然流路の下から検出されたり、洪水によるものと思われる砂に覆われたりしています。人々は、水産資源や水田に近いという好条件と、水に生活を脅かされやすいという悪条件の狭間でたくましく生活していました。

展示資料等

柳河町遺跡第6・7地点出土資料(土器・石器)ほか

水で守る ―中世:河和田城跡―

桜川のほとりの低台地に築かれた平城である「河和田城」は、その立地を存分に生かし、水や沼地を利用した自然の要害を兼ね備えています。その堅牢な守りは、当時の敵の襲撃のみならず、現代の発掘調査をも困難にするものでした。

展示資料等

河和田城跡縄張図、河和田城跡第31地点出土(土器・木製品)ほか

水を操る ―近世:笠原水道―

水戸城の下町(現在の下市地区)に上水(飲料水)を供給する暗渠である「笠原水道」は、寛文3(1663)年、水戸藩第2代藩主の徳川光圀の命によって造られました。上水難に悩まされた近世の人々は、水を巧みに操って大工事を成し遂げたのです。

展示資料等

笠原水道絵図パネル(水戸市水道部所蔵)、笠原水道第10次出土資料(岩樋・土管)ほか

水中遺跡 ―考古学のフロンティア―

水戸市内に存在し、普段は水中に沈んでいる2つの遺跡、「涸沼川河床遺跡」と「権現山横穴群」を取り上げ、普段はなじみの薄い水中考古学の分野について紹介します。

展示資料等

涸沼川河床遺跡現況写真、涸沼川河床遺跡採集遺物、権現山横穴群現況写真、権現山横穴群出土品(須恵器・ガラス玉・切子玉) 

添付ファイルのダウンロード

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お問い合わせ先

埋蔵文化財センター
電話番号:029-269-5090 /ファクス:029-269-5090

〒311-1114 茨城県水戸市塩崎町1064-1 水戸市大串貝塚ふれあい公園内
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