焼夷弾で蒸発したトイレ

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最終更新日:2013年2月1日 ページID:002602

そのころすでに水戸市民は殆んど田舎の知人や親戚に避難して、家に残っている者は何人もいなかったようである。私の住んでいた上金町でも、ほとんど無人でゴーストタウンのようになり、私達のように新参外来人で、避難するにも知人も何もない者か、その家の主人か屈強の若者だけが独りで留守番をするという有様であった。
それで、予告通りに八月一日の夜警報が出たので、一家中避難の準備をして、できるだけ着込んで待機していたが、何事もなく静かになったので、服装を解き寝ようとした。その時、ラジオが鹿島灘に数十機の敵機が現れたと報じたと同時に、何の予告もなしにバラバラと焼夷弾が落下しはじめた。何でも初めに水戸市の北側と南側を爆撃して炎上させ、逃げ路をふさぎ、中央部は後から襲撃したということであるが、上金町には真っ先に焼夷弾が落下したようである。
見る見るうちに蚊帳や障子がメラメラ燃え始めた。裏の家からも火を吹き出したので、その火の下をかいくぐるようにして、妻と二人の娘を伴い、かねて避難先と定めていた那珂川べりを目指して逃げた。避難する途中でも、頭上から筒やバンドのようなものが、ガラガラ雨のように降ってきた。それで林の中の崖を駆け降りて、そのふもとの低地に伏せて息を殺していた。那珂川べりまで落ち延びた人は、かえって襲撃されたという事である。ようやく夜が明け始めて、静かになったので帰ってみると、家は無残にも焼け落ちていた。便所に焼夷弾の筒が突き刺さっていて内容物は完全に蒸発して、ぬぐったようにきれいになっていたのにはびっくりした。書棚のあったと思われる場所には、うず高い粘土の塊があったので暗然とした。そして東隣の家との堀際には焼夷弾が一本あり、西隣の家では寝室が焼夷弾の直撃を受けたと見えて、焼死体が見つかった。無残な犠牲者であった。

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