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市民の証言1

ページID:[[open_page_id]] 更新日:2022年6月13日更新 印刷ページ表示

弘道館を守ったピッケル

あの夜、空襲の間県庁前のお堀の防空壕の中で難をのがれていた私は、二日の明け方近く、空襲のおさまったのを見とどけて表に出ようとした。ところが見ると、驚いたことにお堀にはまだ一面に油の火がポッポッと燃えており、向かい側に見える裁判所のあたりもまだ燃え残りがはげしくくすぶりつづけている。またその脇の仲町角では赤い消防車が直撃されたらしく、あわれな残骸が黒い煙を上げていた。
しかたなく私は県庁構内をぬけて弘道館公園の方へ行った。まさか梅林の方はと、とっさの思いつきでそっちへ足が向いたのだった。園内に入ると、ここにもやはり焼夷弾が降りそそいだらしく、あちこちに弾筒が突きささっていた。八卦堂も焼けて、弘道館記の大理石の碑が焼けた建物の残骸の中に傷つきながらも無事に立っていたが、その傍にあった鹿島神社は全く面影をとどめていなかった。しかし、驚いたことに弘道館正庁の建物は厳然として私の目の前に残っていた。
それから間もなく、館の南側の縁側のところまで行った時、そこに思いがけなく市の鳥居助役がいた。顔見知りの間柄だったので、思わず「やあ、あなたもご無事で…」と互いに無事をよろこび合い、どちらともなく連れ立って正門から表の通りへ出た。
ところがちょうどその時、全く偶然にも私が直面した玄関の前に突き出ているひさしの上から、チョロ、チョロと赤い炎が上がっているのが見えた。ハッと思った私は、すぐさま傍の北沢売店にハシゴがあったのを幸い、これを借りてひさしにかけ上がった。この時鳥居さんが下を押えてくれたのを覚えている。
ひさしにのぼった私は、手にしたピッケルで屋根のコバをひっかき、火のついているあたりを手早くかき落としてひぼえを足で踏みつぶした。焼けた範囲30センチ四方ほどですぐ消しとめることができた。これはたまたま手にしていたわがピッケルの思いがけぬ手柄であった。この時なぜ私がピッケルを持っていたかというと、これは商売柄薬草採りの時などに使って便利したものだったので、こんな非常の時にもそのくせが出て、物を掘ったり除けたりするのに何か役立つかもしれないという気持ちが、家をとび出す時に無意識に働いたものだったと思う。
とにかくこれで消火は成功して私もホッとしたが、あれが消えずに屋根の下地をはって行ったら、火はぐしの方まで入って遂には大事に至ったかもしれない。今もあの玄関の庇の横に通っているケタの上、真中辺が黒くなっているのがその時の名残である。

妹は防空壕で死んでいた

其の時妹の昭江は私達も近所の人と逃げると思ったのでしょう、近所の人と一緒に行ってしまいました。まさかこれが妹との一生の別れになろうとは…。(中略)
そのうち夜が明け空襲も終わりました。田んぼにはあちらこちらに大きな穴がいくつもあいていました。
それからみんなで妹の名を呼びながらさがして歩きました。近所の人もすぐには焼跡には戻って来ませんので、妹の消息はわかりませんでした。帰って見ると家はやはり丸焼けで、お勝手に焼夷弾が落ちて鉄釜に大きな穴があいていました。馬鈴薯が食べごろに焼けておりみんなで分けて食べました。それから壕に死んだようになって体を横たえました。
それから妹の消息もわからないまま、何日かが過ぎました。笠間から伯父が迎えに来てくれ、赤塚迄歩いて笠間に行きました。はだしだったかもしれません。また何日かが過ぎ、水戸にいた伯母からの知らせで母は水戸に来ました。妹はやっぱり死んでいました。それも防空壕の中でした。一緒に逃げた人のはなしでは、土手から避難する時は火の海だったそうです。用水桶で防空頭巾をひたし、体に水をかけながら下市病院前の大串材木店の防空壕までたどりつき、一緒に入ろうと思ったそうですが、満員で妹が入ることが出来て近所の人はそこから逃げて行ったそうです。ところがその防空壕に焼夷弾が落ち、旧轟町の吉田さんの奥さんと娘さんと妹の三人が直撃でやられたとのことでした。消防団の人から大串材木店の防空壕に身元不明の子供の死体があると聞き、見に行ったところ奥の方で死んでいたそうです。胸章の所が焦げていてわからなかったのです。帰ってきた母の顔を見て妹が死んでいたことをさとりましたが、この時の悲しい思い出は一生忘れることが出来ません。焦げた服の切れ端と髪の毛が形見でした。

あッ、お城がなくなった!

水戸空襲の夜。突然の爆音と照明弾の光に、布団からとび起き、私は母と防空壕にとび込んだ。ゆっくりと光を放ちながら落下する照明弾、その周囲は昼間同様の明るさである。見渡す限りの畑がよく見える。間もなくしてワラが敷いてある南瓜畑に火がつき、パッと燃え上がった。しかし、誰も消火する気力もなく眺めているだけだ。上空を見ると、南から北へ次々と飛来する黒い機体。それが水戸の中心街の上空で黒い物体を連続的に落として行く。すると光がさらに明るく上空に映え、地鳴りが伝わってくる。私は母と二人で壕の入口から顔を出し、じっとその光景を眺めていた。その間も、時折、私たちの頭上をヒューッとかすめて、前方の畑の中に焼夷弾が落ち、炎が立ちのぼる。母がひとりごとのようにポツリと言った。「これでは街中は全滅だね」と。中心街の上空はさらに紅色に映え、それを背景に黒や白の物体が舞い上がっていた。
やがて、飛行機の爆音は消え、私たちも防空壕の中で横になった。しかし、朝まで眠れなかった。あれだけの炎をあげた市街地はどのようになっているのか。いくら考えても考え及ばなかった。
翌朝私は近所の上級生の家へ行った。お互いに昨夜の情景について語りあった。そこで中心街を見に行こうと話がきまり、近所の小学生数人と出かけていった。
古宿の蓮乗寺の坂を下りるとき、前方を見ると、まだあちこちに煙が立っていた。そのとき誰かが大声で「あッ、お城がなくなった!」と叫んだ。すると皆一斉に「あっ、本当だ、本当だ」と驚きの声をあげた。白くそびえていた水戸城は跡形もなく消えていた。その時私は子供心にも、「僕等の水戸城まで燃やすなんて」と我慢できない気持と、とりかえしのつかない悲しみに、思わず涙が出たことを覚えている。

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