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江戸時代の有名人2.

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最終更新日:2008年3月12日 ページID:003117

会沢正志斎(あいざわ せいしさい)1782年~1863年

水戸藩士。儒学者。教育者。10歳で藤田幽谷の門に入り儒学や史学を学び,18歳で彰考館に入って「大日本史」の編さんに当たりました。早くから西洋勢力のアジア進出に危機感を抱き,水戸藩領の大津浜にイギリス人が上陸した事件を契機に著した「新論」は,幕末の尊皇攘夷運動に大きな影響を与えました。
 

会沢正志斎

徳川斉昭(烈公)(とくがわ なりあき、れっこう)1800年~1860年

水戸藩第9代藩主。1829年に水戸藩主となり藩政改革に手腕を発揮しました。
藩の財政再建のために,衣食住すべてに対して質素倹約をすすめたり,産業振興を図りました。また,人材育成のための藩校「弘道館」や,領内の民ととも(偕)に楽しむという意味から名付けられた「偕楽園」を創設しました。
藩主を譲った後も,近海に現れた外国船に備え軍備の充実を図るため,大砲製造を目的とした反射炉を建設しました。
その後,将軍の跡継ぎ問題や日米通商条約の調印をめぐって大老井伊直弼と対立。水戸に永ちっ居を命ぜられ,水戸城中において61歳で没しました。おくり名は烈公。第15代将軍徳川慶喜公は斉昭公の七男です。

徳川斉昭

本間玄調(ほんま げんちょう)1804年~1872年

水戸藩医。医学者。華岡青州,蘭医シーボルトなどに師事し,漢洋の医術を習得。水戸藩第9代藩主徳川斉昭公のもとで種痘を行い,多くの人命を救いました。また藩校「弘道館」の医学館教授として教育にあたり,水戸藩の医政発展に尽くしました。

本間玄調

加倉井砂山(かくらい さざん)1805年~1855年

水戸藩全隈(またぐま)村の庄屋で,9代藩主斉昭公との交流も深かった。家塾である日新塾の経営と運営にあたり,多くの門人を育成した教育家として著名である。日新塾では塾生の個性,主義が重んじられるとともに,文武両道の教育方針がとられた。
 

藤田東湖

藤田東湖(ふじた とうこ)1806年~1855年

幕末の水戸学者。彰考館総裁である父,藤田幽谷のもとで学び,水戸藩第9代藩主徳川斉昭公の信頼を得て藩政に活躍しました。中でも「弘道館」の創立に貢献し,天保の改革推進に尽力しました。学識,人格ともに全国志士の敬慕の的となりました。

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