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江戸時代の有名人1.

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最終更新日:2008年3月12日 ページID:003116

伊奈忠次(備前守)(いな ただつぐ、びぜんのかみ)1550年~1610年

江戸時代初期の幕府代官。幕府の政治・経済の基本となる政策を担当し,検地や河川改修などに重要な役割を果たしました。水戸藩初代藩主徳川頼房公の命により,千波湖から水を引いて用水路「備前堀」を造りました。この水の恵みは現在にまで及んでいます。

伊奈忠次

朱舜水(しゅしゅんすい)1600年~1682年

明の儒学者。明朝が滅亡し長崎に亡命していた舜水を,水戸藩第2代藩主徳川光圀公が師として水戸藩に招きました。舜水の学問は,空論を排し実学を尊び,その学識は、祭器、養蚕、種痘の処方に及びました。中でも正式の儒学、釈典の礼法を伝えて、藩士を教育しました。実用的な学風が水戸藩に起こったのはこの舜水の影響といえます。

朱舜水

徳川頼房(威公)(とくがわ よりふさ、いこう)1603年~1661年

水戸藩初代藩主。江戸幕府を創設した初代将軍徳川家康公の第11子として、京都伏見城で生まれ、1609年水戸藩主となる。水戸城の大修復、下町の造成など城下町の拡張、検地や水利事業の実施など藩の基礎を築いた功績には大きなものがある。このように、御三家のひとつとして水戸藩の基礎を確立した頼房公は、水戸城中において59歳で没しました。おくり名は威公。

徳川頼房

徳川光圀(義公)(とくがわ みつくに、ぎこう)1628年~1700年

水戸藩第2代藩主。1661年に水戸藩主となって以来,殉死の禁止,笠原水道の開設,貧民の救済と産業の振興などの善政を行い,藩内外から名君と仰がれました。
朝廷を尊び幕府を助けるとともに,中国の「史記」にならって日本の歴史を編さんしようと決意し,全国から優れた学者を招き自ら監修にあたった「大日本史」は,水戸藩ばかりでなく近世日本の文化に大きな影響を与えました。1690年藩主を譲り西山荘(常陸太田市)に隠居し,73歳で没しました。
義公とおくり名され,中納言の唐名から,「水戸黄門」の名で現在でも親しまれています。

徳川光圀

安積澹泊(あさか たんぱく)1656年~1737年

水戸藩士。儒学者。10歳のとき水戸藩第2代藩主徳川光圀公が招いた明の儒学者,朱舜水に入門し学問を修めました。28歳のとき彰考館(光圀公が開設した「大日本史」の編さん所)に入り「大日本史」の編さんに従事,38歳で6人目の彰考館総裁に就任しました。晩年には,新井白石,荻生徂徠などの学者と学問的交渉を深め,水戸学を代表する学者として信望を集めました。

安積澹泊

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