水戸市明治維新150年記念事業を推進しています

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最終更新日:2018年6月11日 ページID:018007

 2018(平成30)年に明治改元から150年を迎えるに当たり,明治維新に至る歴史において大きな役割を果たした水戸の先人たちの足跡や精神を学ぶことにより,郷土愛の醸成を図るとともに,本市の更なる発展につなげていくため,様々な記念事業を展開していきます。

基本方針

 徳川光圀公による『大日本史』編纂(さん)事業によって育まれた水戸藩の教育的伝統は,徳川斉昭公が文武を磨く総合的な教育機関として創設した弘道館へと発展しました。水戸藩の教育的伝統に培われた学問,理念,人材は,新しい時代への魁(さきがけ)として,多くの人々に影響を与えたほか,徳川慶喜公の世紀の決断,すなわち「大政奉還」につながるなど,明治維新の原動力となりました。

 日本が近代国家の形成を図っていく中で歴史の転換点となった明治改元から150年を迎えるに当たり,明治維新に至る歴史において大きな役割を果たした水戸の先人たちの足跡や精神を学ぶことが大切です。市民一人一人の郷土愛の醸成や本市の更なる発展につなげていくため,国や県等と連携し,より多くの市民参加を得ながら,様々な記念事業を展開していきます。

施策の体系及び記念事業

 基本方針を踏まえ,水戸市独自のキャッチフレーズ,ロゴマークを定め,3つの柱で構成する施策の体系に基づき,明治維新150年関連施策とするにふさわしいものを記念事業と位置付け,2017(平成29)年度及び2018(平成30)年度に実施します。
 あわせて,国,県及び民間における関連事業についても記念事業として位置付け,推進を図っていきます。

 キャッチフレーズ

 『水戸が“ 天下の魁(さきがけ)” と呼ばれたのには理由(わけ)がある ~過去を振り返り,未来を考える~』

 ロゴマーク

 meijiisin150rogo 
 【コンセプト】
・キャッチフレーズを踏まえ,水戸を「MITO」とし,未来をイメージさせる字体を採用
・「MITO」の「O」を水戸徳川家の家紋とし,水戸らしさを表現
・水戸市の紋章の「青」と明治時代に制定された国旗の「紅」を採用することにより,水戸と近代日本の関わりを表現


【特別協力】
tokugawamuseum

・公益財団法人徳川ミュージアムの協力を受けて,ロゴマークを作成しているため,使用する場合は,使用要項及び使用マニュアルに基づき日本文又は英文による以下の著作権に関する表示や利用申込み(原則,利用料がかかります。)などが必要となります。
 日本文:徳川ミュージアム所蔵 ©徳川ミュージアム・イメージアーカイブ / DNPartcom
 英 文:The Tokugawa Museum ©The Tokugawa Museum Image Archives / DNPartcom
 

 3つの柱

明治維新に大きな役割を果たした水戸の歴史の継承

  明治維新に至る歴史において大きな役割を果たした水戸の学問・理念,そして,先人たちの足跡や精神を改めて学び,水戸の歴史を次の世代に伝えていきます。

  【記念事業】水戸再発見リレー講座,弘道館・水戸城跡周辺地区における新たな道路愛称(水戸学の道)の設定,歴史アニメーション制作 など

明治維新150年をテーマとした文化,観光等の振興

  明治維新をテーマとした文化振興,観光振興に資する取組により,先人たちを育んだ水戸の魅力を発信するとともに,郷土愛の醸成を図ります。

 【記念事業】水戸城模型の修復,明治維新150年機運醸成事業,観光資源モニターツアー など

歴史的な風格を感じられる空間の形成

 歴史的資源をさらに磨き上げ,水戸ならではの歴史を感じられる風格ある空間の整備等を進め,魅力ある景観の形成とともに,回遊性の向上を図ります。

 【記念事業】水戸城大手門復元整備事業,景観まちづくり刷新支援事業 など

 記念事業の一覧:平成29年度平成30年度(予定を含む)

幕末における水戸の歩み

 水戸藩の世子だった徳川光圀公は史学に関心を持ち,江戸の藩邸に彰考館を設置して1657(明暦3)年 に歴史編纂事業を開始し,水戸藩第2代藩主になった後も事業は続けられ,水戸にも彰考館が置かれました。
 後に『大日本史』と名付けられたこの歴史書の編纂事業により,水戸藩は学問が盛んとなり,その教育的伝統が藩校弘道館の創設につながり,幕末の指導者など多くの人々に影響を与えました。

西暦
(元号)
歴史的事実 概要
1824年
(文政7)
大津浜事件 水戸藩領最北端の大津浜(北茨城市)にイギリス船員が上陸。これをきっかけのひとつとして,幕府は翌年に異国船打払令を発した。事件の際,船員の調査に関わった水戸藩の会沢正志斎は,国家が国外に対する威信を示す必要性などを著書『新論(しんろん)』で説いた。
1829年
(文政12)
徳川斉昭公が藩主となる  徳川斉昭公が家督を継ぎ,水戸藩第9代藩主となる。藤田東湖などを登用して藩政改革を進め,幕府の天保の改革にも影響を与えた。
1841年
(天保12)
弘道館仮開館 斉昭公により弘道館が仮開館(1857(安政4)年に本開館)。初代教授頭取を会沢正志斎らが務め,建学の精神を記した「弘道館記」は,藤田東湖の草案をもとに斉昭公が公示した。弘道館では,文武を磨くとともに,天文学や医学などの自然科学まで網羅する総合教育を行っていた。その学問・思想は,吉田松陰や西郷隆盛など多くの人々に影響を与え,明治維新の原動力となった。
1842年
(天保13)
偕楽園の開園 斉昭公により弘道館と一対の施設(一張一弛)として開園。「衆(たみ)と偕(とも)に楽しむ場所」として,日本における「公園」の魁となった。
1853年
(嘉永6)
黒船来航

ペリー率いるアメリカ合衆国海軍が来航。翌年に幕府は日米和親条約を締結したことで,国内では『新論』や藤田東湖の『弘道館記述義』などで示した「改革を断行し,天皇を中心に国が一体となって海外に立ち向かう」という理念(尊王攘夷)が広がっていった。

1858年
(安政5)  
日米修好通商条約の締結

幕府がアメリカ合衆国と日米修好通商条約を締結。アメリカに領事裁判権を認め日本に関税自主権がなかったことから,不平等な条約とみなされた。また,孝明天皇の勅許(ちょっきょ)のない調印だったことから,幕府はさまざまな方面から批判を浴びることになった。

1858年
(安政5)

1859年
(安政6)

安政の大獄 斉昭公たち一橋派は,条約を締結した幕府の大老・井伊直弼に強く反発したが,直弼は一橋派を罰し,斉昭公も永蟄居(えいちっきょ)処分となった。同年,朝廷から条約調印を批判するとともに幕政改革を命じたいわゆる「戊午(ぼご)の密勅(みっちょく) 」が水戸藩に下されたため,幕府は危機感を高め,一橋派などへ大規模な弾圧を行った。

1860年
(安政7)

桜田門外の変 江戸城桜田門外で元水戸藩士と薩摩藩士が彦根藩の行列を襲撃,大老・井伊直弼を暗殺した。この結果,幕府の権威は失墜することとなった。

1864年

(元治元)

天狗党の挙兵 藤田小四郎などの天狗党が横浜鎖港の実現を目指して筑波山で挙兵。後に武田耕雲斎も加わり,慶喜公を頼って京都を目指したが,開国を進めていた慶喜公は天狗党の主張を認めず,討伐する姿勢を見せた。そのため,天狗党は降伏し,家族を含めて厳しく罰せられた。
1866年
(慶応2)
徳川慶喜公が将軍職を継ぐ 

斉昭公の七男として生まれ,「江戸の華美な風俗に馴染まぬよう水戸で教育する」との方針により9年間水戸・弘道館で教育を受けた徳川慶喜公は,将軍後見職などを歴任,京都を拠点に難しい国内外情勢に対応し,1866(慶応2)年に将軍に就任した。

1867年
(慶応3)
大政奉還

江戸幕府第15代将軍徳川慶喜公が政権返上を明治天皇に奏上(そうじょう),聴許(ちょうきょ)された政治的事件。長州藩や薩摩藩に「倒幕の密勅」が下されており,慶喜公は大政を奉還し,新しい政治体制の構築を目指そうとした。しかし,その後の政変や鳥羽・伏見の戦いで敗北してその地位を追われた。慶喜公は江戸ついで水戸に移って,1868(明治元)年に4か月間,弘道館内の至善堂にて謹慎し,その後駿府へ移った。

1868年
(明治元)
明治改元 1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日),1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。

1868年

(明治元)

弘道館の戦い 戊辰戦争の一つ。新政府樹立に伴い,旧幕府側とされた市川勢(諸生派)に厳罰の勅書が下された。市川勢は会津などに向かったが,その後水戸に戻り,弘道館を占拠したため,そこを舞台に激しい戦いが起こり,敗れた市川勢は家族を含めて厳しく罰せられた。天狗党の挙兵や弘道館の戦いにより,多くの犠牲者が出た。

水戸の学問

 水戸の学問として,代表的なものに「水戸学」があります。水戸学は,江戸時代の水戸藩において,儒学を基礎に国学や神道,洋学の成果も取り入れて成立したと考えられており,「水戸史学」,「水府学」,「天保学(てんぽうがく)」,「正学(せいがく)」などとも呼ばれていました。

 水戸藩第2代藩主徳川光圀公による『大日本史』編纂事業が始まりとされ,江戸時代後期には,全国的な規模で改革を断行し,国の威信を海外に示すため,天皇を敬う「尊王」と外国勢と対峙する「攘夷」が必要であるという理念(尊王攘夷)を持つようになったとされています。実践的で,かつ藩を超えて国家的視野から諸課題に対処しようとした点に特徴があり,吉田松陰や西郷隆盛をはじめとした多くの幕末志士に多大な影響を与え,明治維新の原動力となりました。また,明治以降も近代日本の国体形成に大きな役割を果たしました。

 その他,水戸藩においては,儒学や国学のほか,洋学や医学,本草学(ほんぞうがく)など幅広い分野の学問が発達し,城下だけでなく農村部においても私塾や寺子屋(手習塾)が数多く開かれていました。

新たな道路愛称の設定

 道路愛称については,道路と地域の結びつきと地域のイメージアップを目的として,平成8年に22路線,平成16年に10路線を選定し,現在32路線の愛称名を決定しています。2017(平成29)年10月に三の丸自治コミュニティ連合会より,弘道館を中心とした教育文化機能が集積する地域の道路愛称を「水戸学の道」と位置付けるよう,約4,000名の署名を添えて要望書が提出されました。

 弘道館・水戸城跡周辺地区においては,水戸城大手門復元整備などを進めているところであり,市民の郷土愛を育むとともに,観光振興や地域活性化を図るため,既存の道路愛称である「三の丸歴史ロード」と「水戸城跡通り」を含めた水戸駅からの新たな道路愛称を「水戸学の道」と設定しました。

 位置図はこちら。今後,案内板やパンフレットなどで広く周知を図っていきます。

水戸の先人

 水戸藩の教育的伝統を築いた徳川光圀公をはじめ,弘道館や偕楽園を開設した徳川斉昭公,世紀の決断「大政奉還」を行った徳川慶喜公だけでなく,明治維新に至る歴史において多くの人々に影響を与えた会沢正志斎藤田東湖,東湖の姪で日本の保母第1号の豊田芙雄(子),明治元年に生まれた横山大観など,明治維新期において多くの先人が活躍しました。

新しい時代の,魁へ

 明治維新は日本に近代化と西洋化をもたらしました。その扉を開き,日本を新しい時代へとつないだのは,水戸の先人たち。まさに時代の「魁」となりました。
 より多くの市民の皆さんが,先人たちの理念や知恵に触れ,水戸,日本,そして世界の発展について考えることができる様々な記念事業を実施していきます。

お問い合わせ先

政策企画課
電話番号:029-350-1580 /ファクス:029-232-9462

〒310-8610 茨城県水戸市中央1-4-1 本庁舎南側臨時庁舎3階
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